天草での想い(1992 週報・キリシタン遺跡の旅・宮田光雄著書との対話)

1992.9.6、神戸教会 週報
聖霊降臨節第14主日
引用:宮田光雄氏「イエスと出会う」ザアカイ物語
神戸教會々報 No.136 所収「崎津の教会

(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん59歳)

この日の説教:詩篇 43:1-5、使徒行伝20:17-35
「苦難の共同体」 岩井健作


 『いま日本人であること』(宮田光雄著、岩波書店 1985年初版、1992年同時代ライブラリー版)の中で、著者・宮田光雄氏は最近流行の日本人論の閉鎖性を戒めている。

(サイト記)著者・宮田光雄さんを10月の秋期伝道集会の講師にお招きすることが決まっている。

 日本におけるナショナリズムは、一貫して普遍的原理に反撥し、それを排除することにおいて、自らの特殊性を維持しようと努めた歴史を持つ、と書いている。

 しかも、その特殊性を擬似普遍性として妄想する倒錯した形を国家が強制してきた(例えば「八紘一宇」)。

 著者は、河上肇の「日本独特の国家主義」(1911(明治44)年3月発表の論文)を引用して、この国家の統治を「天賦人権」に対して「天賦国権」だとし、人権と国権との相克として、どちらの考え方に基本的に立つのかが、今も日本人のアイデンティティーとして問われていると明確に示す。

 「天賦人権」論の普遍的原理が、日本人にとって、個としての自己開放・解放を貫かせ、「日本主義」という自己閉鎖的な文化環境を、革新的に未来に向けて開かせていく行為の大事さを訴える。


 著者は、そのような日本のナショナリズムをめぐる「特殊性」と「普遍性」との関わりが典型的に表れている出来事として「ヤスクニ問題」を取り上げる。

 この問題は、第一に、信教・良心の自由という人権確立の問題に関わる。

 第二に、戦争の反省に関わる。

 第三に、天皇を中心とする新しい国家統治=集権主義への問題に関わらせる。

 戦死者が「英霊」として礼拝されることのゆえに、いかなる犠牲をも惜しまないで滅私奉公する「日本帝国臣民」の死生観の中心を形作ってきたのが「ヤスクニ」であった。

 果たして、このような擬似宗教性・擬似普遍性を持った「特殊国家主義」精神と闘いうる根拠を日本人は持ちうるのか、と著者・宮田光雄氏は問う。

 「他人から、国家から、死の意義づけ=生の意義づけを規定されて、どうして個としてのアイデンティティーが成り立つであろうか」(p.76)と。

 著者は、そのような精神風土の変革のための一つの手がかりとして、キリシタン殉教の歴史に光をあてている。


 身分差別と封建社会の中で、人格の自覚と精神の自由を教える「開放・解放の福音」がキリシタンを支えたという。

 だからこそ、迫害は徹底を極めた。


 この夏、私は、天草にキリシタン遺跡を訪ねる機会を与えられた。

 隠れキリシタンの抵抗の底深さと、国権による迫害の過酷さを想い、感無量であった。

 大江天守堂の前には「白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿」という吉井勇の歌碑があった。

 明治40年、その地方を旅し、南蛮文学勃興の機運を作った与謝野寛(後の鉄幹)ら青年文学者の意識にも、この「伴天連」は謎の光であったのでは、と秘かに想った。

(1992年9月6日 週報掲載 岩井健作)


1992年 週報

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