石を取りのけなさい《ヨハネ 11:1-44について》(1991 本日説教のために)

1991年11月3日、神戸教会週報、降誕前第8主日・聖徒の日
(永眠者記念式、午後:納骨者記念式)

(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん58歳)

1.今日は、ヨハネの「ラザロの復活」の物語から学びたい。

 現在私たちが手にしている「テキスト」は、元来の奇跡物語資料にヨハネが書き込みを加え文学的に構成されたものである。

 書き込み部分は、大貫隆氏の『世の光イエス』(講談社 1984)によれば、2節、4節、7-10節、12-16節、22-27節、36-37節、41節「すると」以下-42節である。

2.奇跡物語資料だけを通読すると、エルサレム近郊のベタニア村にマルタ、マリアとラザロが住んでおり、ラザロが病死した。

 知らされたイエスは出発を二日遅らせた後、村に入り、泣くばかりの彼女たちとユダヤ人を見て「心に憤りを覚えて」ラザロの墓に赴き、入口の石を取り除けさせ、「ラザロよ、出でよ」と声をかけた。

 ラザロはよみがえって出てきた、という話である。

 イエスの「涙」が語られ、マルタとマリアの対照も含まれ(ルカ10:38以下)、整った物語である。

3.この物語に、ヨハネは、マルタの信仰告白(23-27節)を挿入し、信じる者にとっては、イエスその人こそ「よみがえりであり、命である」と、ヨハネとその教会の宣教の言葉を語る。

 これは共観福音書のペテロの信仰告白(マルコ8:27-30)と文脈的に同じ位置にあるが、女性の信仰告白であることに特徴がある。

4.人の力の尽きる所に神の驚くべき救い・いのちが表される、というヨハネの告げる言葉は、この福音書に一貫している。

 これを紀元1世紀末のヨハネの教会は、ユダヤ人の敵意の下でのイエスの十字架の死という歴史的事実が同時に神の栄光の天的象徴であり、この表裏一体の出来事を信じるか否かと、その時代の人に迫っている。

5.1989年7月16日の神戸教会夏期集会で、大貫隆氏は「ラザロの復活」と題し説教し、ドストエフスキーの『罪と罰』を引用しつつ、この物語がラスコーリニコフを捕えイエスと出合わせ、いのちへと向かわせる力であることを語っている。

6.死は最後のものと、その力に心をからめとられる生き方を、イエスが「心に憤りを覚え」(38節、口語訳「また激しく感動し」)たことに注目したい。

 墓石をも動かす「命」がある。

(1991年11月3日 本日説教のために 岩井健作)




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