神戸教會々報 No.132 所収、1991.11.10
(神戸教会牧師 健作さん58歳)
パウロは……互いに同業であったので一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。 使徒 18:3
この秋は雨が多かった。低く雲のたれ込んだ港の遠景をカメラのファインダーから覗いていると、「気をつけて下さいよ」と、いつ登ってきたのか職人さんに声をかけられた。教会堂鐘塔屋根を囲んで組まれている工事用足場は、地上三十メートルは超すだろう。だが、素人さえ安全が感じられる。「単価は高いが大手の仕事」と言っていた営繕委員の言葉が思い出された。真っさらな銅板が、太い巻物から広げられ、見ていると予想以上に手間のかかる工程を経て、ゴシック風の尖塔側面に一枚一枚葺かれていく。この空中を、ありていの職場空間に感じさせるのは、携帯ラジオのとめどないおしゃべりの音のせいかもしれない。これも職人さんの日常への工夫であろうか。この銅板が程なく黒くくすみ、やがて緑青(ろくしょう)に彩られるには二十年は、かかるだろう、自分は若いので、自分が葺いた銅板屋根で緑青が出ているものは神戸にはまだない、「谷」の部分は0.4ミリの厚い板で葺いておいた、など仕事の話となると職人さんの目が輝く。
この度の教会堂改修工事が、我々教会員と関係者の熱心な祈りとその表れである特別募金、そして多くの人々の隠れた奉仕に支えられて、さらに工事を請け負ってもらった大林組の厚意を与えられつつ、深い神の導きにより進められていることは大いなる感謝である。さらに職人さん一人一人の職人気質(かたぎ)がその質を実りあらしめていることを覚えたい。外壁工事について言えば、タイルの剥離を、叩いて音で聴き分け、ドリルで穿孔し、高度な化学接着剤を手動の注入器で手加減を加えながら入れていく、単調だが熟練のいる仕事を見ていてそう思った。
ドイツ中世史の研究者阿部謹也氏(一橋大学教授)は職人の世界を評価する。庭つくりでもパンつくりビールづくりでも、職人の領域では、日本の職人がヨーロッパへ行ってもすぐに話が通じるという。それは文化の次元で仕事をしているからだという。同氏は文化と文明を分けて考える。文化は日常的なこと人間の独自性に関わることで、それに比べて文明の次元とは普遍性に還元された世界であるという。ビールの味はそれぞれの土地の職人さんの腕で個性が保たれている。醸造学という学問が味を作っている訳ではない。文化の次元というものは、時として排他的になり、夜郎自大になることがある。それは戒めねばならない。が、また異なった文化への理解の回路は、普遍主義ではなく、自己の文化を固有にもちつつ、かつそれを相対化していく出会いの中にあるという、氏の所説に教えられる。会堂の外壁を補修した職人さんたちの技術や経験の中には、建築というものが始まって以来の文化の蓄積というものが無意識のうちにも受け継がれているように思えてならなかった。
職人さんたちと話している間に、パウロのことを思い浮かべた。「パウロは……天幕造りがその職業であった」(使 18:3)とある。今日、パウロは、初期キリスト教の伝道者として、キリスト教教義の展開をした指導者・使徒として知られている。いわば最初のキリスト教神学者である。彼の著作『ローマ書』は、キリスト教信仰の精髄を伝えているという。キリスト教の改革運動は、幾たびもローマ書の研究から起こってきた。キリスト教に入門するならローマ書から入れ、それが確かだ、といわれる。芯ができるという。そうだと思うし、ローマ書を知らないのも困る。しかしローマ書だけしか知らないのもまた困る。何故か。普遍主義に陥りやすいからだ。職人パウロの天幕造りは、伝道者・神学者パウロの生活の補助ではなく、パウロの諸経験と社会的な地位とを含めてパウロその人を規定している、と論証づける研究がある。(R.E.ホック『天幕づくりパウロ』笠原義久訳、日本基督教団出版局、1990。 同書は教会員M兄により階下の「教会文庫」に寄贈されている)。
この書によれば、パウロは教理史や神学史の枠には閉じこめられない、社会史・文化史の人である。
私たちは普遍主義的にキリスト教を把握しがちであり、またそうしないと不安を覚えることがある。しかし、職人さんが仕事をするように、コツコツとした個別経験での、神との出会い、価値の転換、信仰の熟成などは、たとえ断片でも部分でも、かけがえのないものなのである。職人気質の信仰者をめざしたい。