アルザスの旅(1990 神戸教會々報 ㊵)

神戸教會々報 No.128 所収、1990.10.21

(神戸教会牧師 健作さん57歳)

ぶどうを踏む者は、種まく者に相継ぐ  アモス 9:13


「フランスへ行ってみませんか」

 パリの石畳をとめどもなく歩くのが好きだというK牧師の、風のような誘いにのって、貴重な休みを過した。個性派、活動家の牧師4人に私たち夫婦が加わった弥次喜多道中。

 この秋、大阪に帰国したストラスブール大学新約学のT客員教授がアルザス探訪を綿密に組み、ルノー25を駆使して、最後の夏の時と労を我々に惜しみなく提供いただいたことと、氏のキリスト教美術への眼孔の鋭さ、加えて時代を共に生き抜いてきたK氏とT氏の友情が垣間見えて、旅の彫りには深いものを覚えた。


 パリははじめてだ。不勉強なのだろう、歴史的興味を持たないままの出会いだった。『18世紀パリ生活誌』(メルシエ 岩波文庫 1989)などを思い出して、トイレの少なさや公園の犬の糞の多さなどを思った。だが、風景だけはビシビシと飛び込んでくる。これはユトリロの構図だ、これはビュッフェの陰影だ、これは西村功の街角だ、というような場面がいたるところにあって、少年時代にかえってスケッチブックを片手に、セーヌ河岸に一人座り込んで鉛筆を走らせていたら、大きな体のおばさんがにっこり笑って励ましてくれた。K牧師について市内を歩き廻ったので、結局20区のうち16区を足で歩いたことになる。


 淡く明るいあずき色のアルザスの豊富な水成岩の色調は、白っぽく重い中央フランス・パリの石が築く文化とは異なったものを感じさせる。アルザスの中心ストラスブールの大聖堂は、ノートルダム、シャルトルと共に12世紀のゴシック建築の代表である。その壮大さは聞きしにまさるものであった。天にそそり立つ尖塔が完成するまで、4人の設計者と300年の年月を要している。人のすれ違いが難しい位狭い312段の階段を昇った屋上からの風景は安野光雅の世界だった。何千と刻まれた内外の彫像は石の固さにいどむ作者の表現への意志を思わせた。入口の左右にある「教会」を象徴するいかにも誇り高い女性像と、「シナゴク」を示す目かくしされうなだれる女性像との対照の露骨さは石の素材の美しさとは裏腹の思いをもった。ゴシックと共に発展したステンドグラスや教会博物館の見学には1日をかけ、夜はアルザス料理シュークレト(キャベツとポーク)の量の多さに驚かされ、翌日曜日は聖堂で礼拝を守った。聖餐の補助者が女性であったが、カトリックとしての精一ぱいの時代への対応であろうか。


 ライン河をはさんで、フライブルグ、コルマル、リックビル、セレステ、オベルニーなどのアルザスの街や村は美しかった。ぶどう街道で寄ったぶどう農家での試飲のワインの香りは、この地方から持ち出せないものであろう。美術館でグリューネバルトのキリストの磔刑と埋葬図との出会いも思いがけなかったし、ドイツの宗教改革を成功せしめたグーテンベルクの印刷術よりはるかに早い時期のストラスブールの印刷家たちの作品の展示があった図書館も印象深い。


 ドイツになったり、フランスになったり国家の支配に翻弄されながらも、したたかに生きる人々の息吹のあるアルザスを旅して、石を彫り、不作も豊作も含めて土を耕す、そして教会や信仰を包む層の厚い文化のあることを知った。日本のプロテスタントがこの国の民衆の文化になる日もやがて来るのであろうかと、アモス書の終末的展望の言葉と重ね合わせつつ、大嘗祭の行われる秋に思った。

(サイト記)現在2019年5月1日、今日から令和、本文中の「大嘗祭」は1990(平成2)年11月22〜23日の前天皇の即位祭祀。2019年11月には今日から今上天皇に即位した新天皇の即位の礼と大嘗祭が計画されている。「靖国・天皇制」という文脈で警鐘を鳴らす方の声は1990年と比べて筆者には届かなくなってしまった。

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