1989年7月2日、聖霊降臨節第8主日
(当日の神戸教会週報に掲載)
(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん55歳)
マルコによる福音書 3:1-6、説教題「イエス怒り給う」岩井健作
”イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人の病気をいやされるかどうかをうかがっていた。すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、人々に向かって「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。”(マルコによる福音書 3:1-6、口語訳)
マルコ福音書
成立は紀元70年前後。
その頃のエルサレムを中心とする初代教会では「キリストの福音」はまとまった教義として伝えられ教えられていた。
これに対して、辺境ガリラヤ地方の民衆の間に広がっていた「奇跡物語」「論争物語」「言葉伝承」などを集めて「イエスの生涯とわざ」として編集。それまでにはなかった独特なジャンルの文学。
マタイ福音書・ルカ福音書は、マルコ福音書に基づいて、後代にそれぞれの教会形成目的のために書かれた著作。
マルコの独自性は、イエスの言葉やわざを抽象化しないで、歴史そのものとして捉えたところにある。
マルコ3章1〜5節。奇跡物語の素材を含む論争物語。
マルコ3章6節。マルコの編集句。
2章23〜28節の安息日論争と対を成した記述。イエスの周囲に熱心に集まってくる民衆と対照的にパリサイ派やヘロデ党のユダヤ教支配階級の人々が描かれている。
律法
ユダヤ教の根幹をなす神の法。
民衆にとって律法は、日常生活の全てを束縛するものであった。
律法を守り得ない人は呪われ、汚れた者、罪人と規定された。
支配層の人々は律法遵守を強いることで支配体制の秩序を保持した。
イスラエル民族の歴史の中での本来の「律法」の意味はその当時失われていた。
マルコ3章4節
”人々に向かって「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。”(マルコによる福音書 3:4、口語訳)
イエスの言葉。律法の中で最も重要な安息日規定の止揚。
ユダヤ教でも緊急助命としての安息日医療の例外規定はあった。
イエスの革新性は、慢性的障害者への関わりで、そのことを実践した。
マルコ3章5節
”イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。”(マルコによる福音書 3:5、口語訳)
「黙っている」ことで、身の保全を図るあり方へのイエスの怒り。
神の怒り(審き)という用いられ方のほか、新約では「怒り」は否定的徳目が多い。
マルコ3章6節
”パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。”(マルコによる福音書 3:6、口語訳)
マルコの主張。
イエスは社会秩序を揺るがす危険分子として処刑されるに至る。
「死を生きる人イエス」=「神の子イエス・キリストの福音」(マルコ 1:1)の主張。
マルコ3章1〜6節を何度も読み直してみました。
その激しさに圧倒されます。
イエスの激しさ、それを収録記述するマルコの激しさ、そしてそれを読みとる歴史の中の「激しい」人々。
その系譜につながる部分が私たちの内にあるなら、それは神の賜物として大切にしたい。
撃たれる部分は「イエスの怒り」として受け取っていきたい。
「片手のなえた人がいた」(マルコ 3:1)そして現在もいる。
この現実の苦悩に心を閉ざしてはならない。
(1989年7月2日 説教補助 岩井健作)




1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)