個人史の明暗《サムエル記上 18:6-16》(1989 説教要旨)

1989年4月30日、復活節第6主日
(当日の神戸教会週報に掲載)

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん55歳)

サムエル記上 18:6-16、説教題「個人史の明暗」岩井健作

”主がサウルを離れて、ダビデと共におられた”(サムエル記上 18:12、口語訳)


 イスラエル王国が建てられた歴史の過渡期の最初の王はサウルでした。

 サウルが主(ヤハウェ)によって立てられたカリスマ的指導者として考えられている限りにおいて、その個人史は肯定的に捉えられています。

 例えば、辞典に記すとしたらこのように書けるでしょう。

 ”サウル。イスラエルの最初の王、在位 BC1006-1004頃、旧約の士師時代の終わりのカリスマ的指導者。アンモン人、殊にペリシテ人との戦いのため救済者として登場。イスラエル宗教連合(アンフィクチオニー)を基盤とする非農業的な兵員を用いて戦勝し、神の代理者サムエルの指名と民会の賛同を与えられ、それを基に王(ナーギード、サムエル上 11:15)となった。”

 しかし、現実は、宗教的カリスマの原理に基づく指導者が、世俗的な王(メレク)に移行しなければならない歴史の過渡期の包蔵する矛盾を一身に負わねばならなかった人がサウルでした。

 その意味で、サウルは悲劇の人でした。

 そもそもイスラエルの歴史理解には《王国否定》の思想が根強くありました。

 例えば、士師記9章8節〜15節の「ヨタムの寓話」などを参照下さい。

 王国批判の思想からサウルを見るならば、彼についての辞典的評価は、ほとんど逆転して書き換えられてしまうでしょう。

 現に、今日の箇所(サムエル上18章)でも、サウルは神の前で破滅していく受膏者(油注がれた者)へと徐々に役割を移されていっています。


 旧約聖書学の歴史家は「サウル伝承全体はそれ自体で決して独立性をもってはいない。なぜならそれ自体のためではなく、つねに来たるべき者を視野において提供されているからである。…逆にむしろ彼を神の前で破滅する受膏者の予型として示すことができるし、語り手は彼の暗黒への転落や絶望を深い同情をもって描いている」(G.フォン・ラート)とさえ言っています。

 私は18章の物語を何度も読み返してみました。

 確かに、サウルは悲劇です。

 それは主が彼の役割を取り上げられたのに、それに固執したという悲劇でもあります。

 しかし、私たちは、その悲劇に追い討ちをかけてはならないと思います。

 歴史の過渡期を生きる者が常に味合わねばならない苦悩があります。

 彼について「神の前で破滅する受膏者の予型」と言ったのは、さすがにすぐれた歴史家です。


 我らの主イエスも、その個人史を見れば、破滅する者の暗さをもっています。

 しかし、同時にサウルが、神のわざの歴史の一翼であるとの明るさに繋がっている、その確かさが私たちを慰めます。

(1989年4月30日 説教要旨 岩井健作)


1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)

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