サムエルの告別《サムエル記上 12:19-25》(1989 説教要旨)

1989年4月9日、復活節第3主日
(当日の神戸教会週報に掲載)

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん55歳)

サムエル記上 12:19-25、説教題「サムエルの告別」岩井健作

 ”また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。”(サムエル記上 12:23、口語訳)


 今日は、サムエル記上の12章を学びます。

 サムエル記上が、イスラエル王国成立について、王国に好意的な立場に立つ記事(9章、10章1−16節、11章、13章、14章)と、王国に好意的でない立場の記事(8章、10章17−27節、12章、15章)とに分けられることは、少し聖書を学ぼうとすると、どの書物にも出てきます。

 好意的な前者の記事は古く、またサウル王国の成立の事情に、より史実に近いと言われます。

 好意的でない批判的な記事は新しく、少なくとも後のソロモン王国以後(あるいは王国滅亡後の申命記的史家の王国批判の視点を含んだ資料採用を含む場合もあり)のものであると言われています。

 王国を巡って、是か否かの論議、その歴史経過はそう単純なものではありません。

 王国に至る歴史的事情(ペリシテとの論争)やそれに批判的に関わる神学的事情などがぶつかりあう狭間に、最も深く立った人物が、預言者サムエルとサウル王です。

 例えば、サウルは、初めは士師記の延長線上にあるような、カリスマ的指導者として「ナーギード(神によって、公に)指名されたもの」と呼ばれていますが、後には世俗的・文化的「王・メレク」と言われています。

 前者の宗教的性格の強い役割と、後代の傭兵制度を持つ王国の王との間の矛盾を背負った人でした。在位2年で、サウルを王に立てた預言者サムエル自身によって退けられた(15章)人です。

 いかにも悲劇的です。

 歴史の過渡期の矛盾としか言いようがありません。


 12章は、王国に批判的資料ですが、ここはまた、サムエルの公けの登場の最後の記事です。

 彼が行った過去への評価と未来への警告を含む、いわば告別の演説あるいは遺言とも言われ得る箇所です。

 サムエルはまず神の前での身の潔白を証しします(1〜5節)。

 イスラエルの歴史の要約と民の罪が語られます(6〜18節)。

 そして、勧めが述べられます(19〜25節)。

 その中のサムエルの言葉が冒頭の引用です。

 ”また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。”(サムエル記上 12:23、口語訳)

 彼は、現役の役目を退くというのに、すごい迫力で語ります。

「祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう」と。

 また「良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう」と。

 人生には、様々な「引退」があります。

 社会や、そして教会の役割にもそれがあります。

 しかし、執りなしの祈りをすることに引退はないことを、このテキストは教えています。

(1989年4月9日 説教要旨 岩井健作)


1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)

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