1988年1月3日、降誕節第2主日
(説教要旨は翌週週報に掲載)
福岡出張:1月8日(金)〜9日(土)
教団「沖縄合同特設委員会」のため。
次週10日(日)香椎教会(福岡)講壇担当
(牧会30年、神戸教会牧師11年、健作さん54歳)
(サイト記)本テキストには田川建三氏による訳が引用されているが、ここでは『田川建三訳著 新約聖書 訳と註 マルコ福音書/マタイ福音書』(作品社 2008)の訳に置き換えました。
”その頃、イエスは答えて言った、「父よ、天地の主よ、あなたを讃美します。これらのことを知者や賢者から隠し、幼な子に顕わしてくださったのですから。然り、父よ、こうすることがあなたの前で良いと思われたのです。私には一切のことが我が父によって引き渡されている。そして、御父以外には御子を認識する者はいない。また御子と、御子がそのことを顕わそうと欲した者以外には、御父を認識する者はいない。”(マタイによる福音書 11:25-27、田川建三訳)
(サイト記)神戸教会は4月よりの新年度 神戸教会標語にこの日の箇所を選定した。
《1988年度 神戸教会 標語》”これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。”(マタイ 11:25、口語訳)
マタイ 11:25-27、説教題「子供の今、大人の今」岩井健作
”父よ、天地の主よ、あなたを讃美します。これらのことを知者や賢者から隠し、幼な子に顕わしてくださったのですから。”(マタイによる福音書 11:25、田川建三訳)
「健作、苦しい時っていうものは、祈りから形容詞が吹き飛んでしまうものだな」。
亡き父(岩井文男、1983年8月12日逝去)が癌とのたたかいの病床で残した言葉。
今日の箇所「イエスの祈り」と共に忽然と心に浮かぶ。
マタイ11章25節の原文に照らして、口語訳「天地の主なる父よ」は、この祈りの伝承過程を飛び越して滑らかに過ぎる。
原文の語順は、引用した田川建三訳の通り「父よ、天地の主よ」である。
「天地の主なる」という形容句は後々付加されたと考える方がよい。
「父」も、元々はイエスが用いた日常語のアラム語「アッバ」(幼児語で”パパ”といった意味)であったと思われる。
この祈りの心を味わっていると、形容句など入り込む余地のないところでの、神への直截(ちょくせつ)な祈りであることを感じる。
状況を想像してみる。
「知者や賢者」はユダヤ教の律法の教師、パリサイ人などであり、律法を教訓化し知恵の集大成を成し遂げてきた「知恵文学」の精神的系譜をひく人たちである。
部分的知恵であれ体系的知恵であれ、一つの時代を生きるための知恵を所有している人たちは、時代へのバランス感覚に優れているが、それ故にこそ保身的・保守的である。
しかし、イエスが「神の国」を宣べ伝えた時、その「現実」に生き始めたのは、そのような知者や賢者ではなく「幼な子(小さき者)」であった。
それは「孤児・やもめ・捕虜・病人・貧困者・被抑圧者」などを含む社会層の人たちであり、字義通りには「無知な、愚かな、未成熟な、子供っぽい者」で知者の対極にあった。
イエスの弟子たちもその範囲に含まれたかもしれない。
これらの人たちは、ただ神に依り頼む以外にない「今」を経験している人たちであり、前者の「大人たち」が保身の「今」を生きているのとは違っていた。
「小さき者」の「今」は、例えば、良寛が童心をもって子らと遊び、「この宮の里の木下(こした)に子どもらと あそぶ春日は暮れずともよし」と歌ったような、永遠の「今」に通じるものを持っている。
それに引き換え、私たちの生きている日本の状況はどうか?
加藤周一氏は、日本人の現実主義にふれ、それを「座頭市症候群」と名付けている(加藤周一『現代日本私注』平凡社 1987)。
斬れる範囲では素早く対応するが、状況の歴史的洞察とそこへの働きかけを持たないという。
窮状を神に委ね、何の功もないところから「今」を自覚する者は、行き詰まりを突き抜けて、新しく始め直す可能性を与えられている。
そこから過去を過去とし、希望へと押し出される。
イエスの宣教も「小さき者(幼な子)」を通して展開された。
新しい年の希望をそこに繋いでいきたい。
(1988年1月3日 説教要旨 岩井健作)
1988年 説教・週報・等々
(神戸教会10〜11年目)