引用:あふれるばかり感謝しなさい《コロサイ 2:5-7》(1987 ペンテコステ・説教要旨、難波幸也氏)

1987年6月7日、聖霊降臨日(ペンテコステ)、神戸教会礼拝
(翌週の神戸教会週報に掲載)
《健作さん牧会祈祷、祝祷》

(牧会29年、神戸教会牧師10年、健作さん53歳)

説教者:難波幸也(さつや)
 日本基督教団 岡山博愛会教会会員。故難波紘一氏夫人。夫君の進行性筋萎縮症9年間の闘病を介護、岡山東工業高校教師生活の続行を支え、同時に全国の学校や教会での伝道活動に同伴、甲田光雄医師指導の生食療法に自らも参加。紘一氏との共著『生まれてきてよかった ー 進行性筋萎縮症患者の生命讃歌』(自費出版 1984)、『この生命燃えつきるまで』(キリスト新聞社 1985)。


 ”たとい、わたしは肉体において離れていても、霊においてはあなたがと一緒にいて、あなたがたの秩序正しい様子とキリストに対するあなたがたの強固な信仰とを見て、喜んでいる。このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。”(コロサイ人への手紙 2:5-7、口語訳)


 今年4月1日、天に召されていった夫(難波紘一氏)の病気、進行性筋萎縮症は難病中の難病、現代の医学では原因もわからず治す方法もない病気です。

 壮年期に発病すると2〜3年の生命しかないというのが特徴で、足・手・指一本も動かなくなり、目蓋(まぶた)の上げ下げもできず、口も動かすことができなくなります。

 末期には呼吸器系統がやられ、人工呼吸をしながらベッドに横たわるようになりますが、夫はあまりに早く天に召され、今は「もうおやすみなさい。よくぞ私を証し続けましたね」と天上で労(ねぎら)いを受けていることと思います。

 夫は、昨年暮れから調子がおかしく、夫を寝かした後、平伏して「私たちを憐れんでください」と祈る毎日が続きました。

 このような試練の時、私は神が祈りを聞いてくれなかったと思うのではなく、それでもなお切にお願いを続けていくことの大切さを示されました。


 夫は講演中、よく「いつ死ぬかわからない。今日という日を最後として生きる。今この時をベストとして生きる」と申しておりましたが、その意味では教会はどのように人が生きていくか示すところであり、死を考えることによって人生を整えていくところであると思います。

 私も人生の中で二人の愛する者を失いました。

 一人は双子の妹で、20歳の時に白血病で亡くなりました。

 もう一人は夫です。

 この二人の死の経験を通して、私もまた死を自分のものとして考えられるようになりました。

 特に夫の死を通して、私は神の前において、あふれるばかり感謝して平伏して生きる存在でしかないことを知りました。


 しかし、夫を介助する数年間は毎日が限限(ぎりぎり)で、ドロドロで、呻(うめ)きの連続でした。

 夫のボタンをはずしながら眠ってしまったり、「主よ、いつまでですか」と叫びをあげてしまうこともありました。

 そして、神はこの試練を通して「神は苦しむ者を苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」とヨブ記に記されているように、叫びの中に真実を見えるようにしてくださいました。

 ”神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。”(ヨブ記 36:15、口語訳)

 神の存在そのものを知り、全て神の計画の中にあることを信じることができるようになり、また苦しみを通して、人が人となっていく、夫婦が夫婦となっていく喜びを知りました。

 また、苦しんでいる人と共に苦しみを担って生きる意味を教えられました。


 夫と共に生きる中で、イエスとの出会いは、死に値する私が今ここで生かされている、という思いへと変えられていきました。

 呻きと苦しみと叫び、そこから恵みと救いがあふれる事を知りました。

 すべてのことには時があることを信じつつ、主に委ね切った生を、これからも歩み続けていきたいと思います。

 (1987年6月7日 神戸教会ペンテコステ礼拝 説教要旨 難波幸矢氏)


 しかし、主に向く時に(1984 説教要旨)

1987年 説教・週報・等々
(神戸教会9〜10年目)

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