1987年4月12日、復活前第1主日、棕櫚の主日、受難週
(翌週の神戸教会週報に掲載)
(牧会29年、神戸教会牧師10年、健作さん53歳)
マタイによる福音書 26:36-46、説教題「一人祈るイエス」岩井健作
”「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。”(マタイによる福音書 26:42、口語訳)
イエスのゲッセマネの祈りは、マルコ福音書では「父よ(アッバ)」という呼びかけで始まっている。
”「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯(さかずき)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。”(マルコによる福音書 14:36、口語訳)
神に対してこう呼びかけることは、当時のユダヤ教にも、この時代の前後、他に例のないことだと言われている。(参照 新約聖書学者エレミヤス)
あたかも子供が父親に対するようにであり、深い信頼と安らぎが表現されている。
”アッバ”はアラム語、ユダヤ教典のタルムードの中には、赤ん坊が乳離れをした時、最初に覚える言葉が”アッバ”と”イッマ”、すなわち父親と母親への呼びかけ(現代風に言えば、パパ、ママ)であった、とある。
確かに、当時のユダヤ教では、神と民族の関係が、父子関係にたとえられていたが、そこでの父は、聖なる方、審きの神の権威を示す意味で用いられ、個人が祈りで用いる信頼関係の表現とは別のものであった。
その意味では、”アッバ”はイエスの神観がユダヤ教のそれとは異なるものであることを示している。
当時のユダヤ教のパリサイ派は、神を”父”で表したが、その語り方は「天に代わりて人を裁く」というような自己の側に引き込んだ「神の権威」を示すための”父”であった。
イエスは”父”をその面では利用しなかった。
イエスにとって、”父”は「みこころのままになし給え」と危機的状況で全てを委ねる、懐(ふところ)深き存在であった。
マルコが記した”アッバを、”マタイが取ってしまい「わが父よ」に直したのは、それなりの理由があったと思われる。
”そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯(さかずき)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。”(マタイによる福音書 26:39、口語訳)
いずれにせよ、祈りの呼びかけをどう呼ぶか、各人は自分なりに心の奥底で素直でありたい。
さて、イエスが苦悩の中で祈っているのに、弟子たちは寝ていたという。
弟子たちの無様さを堂々と伝承として伝え、また記事にしたことに対して、「初代教会は極めて健全なり」、そこには自己批判の契機を自らの内に保留し続けている、と評価したのは、新約聖書学者・荒井献氏であった。
しかし、他方、弟子をそのように描写することで、イエスの祈りの孤独さは一層際立っている。
精神の鈍さも、師を支えるべきはずの人たちの無秩序さをも突き抜けて、この祈りは、それらを包んでいる。
関谷綾子氏は『一本の樫の木 淀橋の家の人々』(日本基督教団出版局 1982)の中で、祖母・森寛子(森有礼の妻)が、夜半、50人を超える甥や姪の名を一人ひとり呼んで、腹の底から出てくるような、今まで聞いたこともない声で祈るのを聞き《人は神に訴えることが出来る》という根源的な姿に触れたと書いている。
このことは、他面、《人は誰かに祈られていることで存在する》ということも表している。
例えば、D.C.グリーン夫妻は、米国の母教会の祈りで、神戸伝道を百余年前に開始した。
その祈りと今日の私たちとは無関係であり得ようか。
ゲッセマネの祈りは、その意味の根源性を持つ。
人は祈りによって支えられている。
(1987年4月12日 説教要旨 岩井健作)
1987年 説教・週報・等々
(神戸教会9〜10年目)