1986年12月21日、待降節第4主日、
神戸教会 クリスマス礼拝(237名)
午後、愛餐会(130名)
(説教要旨は翌週週報に掲載)
(牧会28年、神戸教会牧師9年、健作さん53歳)
12月20日(土)午後5時 CS石井校クリスマス(38名)
12月21日(日)午後5時 CS花隈校クリスマス(約100名)
12月24日(水)午後7時半 クリスマス燭火讃美礼拝(約450名)
ルカによる福音書 2:1-7、説教題「神の空間」岩井健作
”初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。”(ルカによる福音書 2:7、口語訳)
”8月”のことを英語で”August”と申します。
これはローマ皇帝アウグスト(Augustus)が自分の名に因んでつけたものです。
最近翻訳されたスエトニウスの『ローマ皇帝史』(岩波文庫 1986)では、皇帝アウグスト自らが、自分が生まれたのは9月だが、8月は特別に輝かしい勝利を収めた月だと言っています。
しかしこの本には、ルカ福音書の伝える人口調査の事は出て来ません。
徴兵や課税のための属領での人口調査などは、為政者の歴史から見れば、当然の日常業務であったでしょう。
しかし、支配されている民衆にとっては大事件です。
”人々は、みな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。”(ルカによる福音書 2:3、口語訳)
とありますが、強制された旅は辛いものです。
病人、身重の妻、老人、障害者などを抱えている人はどんなに辛かったことでしょうか。
身重のマリヤと一緒だったヨセフも、決して備えが悪かったわけではないと思いますが、宿の用意ができず、「飼葉おけの中に」産まれた子を寝かせる結果となりました。
ルカ福音書が伝えるメッセージは、キリストといわれるイエスの誕生は、暦の月に自分の名をつけるような人の目に留まる空間ではなくて、余儀なく押し付けられた、小さな空間での出来事であったということです。
この世で微細な場所こそが、やわらかく「神の子・キリスト」を宿しているということです。
ルカのメッセージはその点で一貫しています。
強盗に襲われて傷ついた旅人を助けたのは、地位ある人々ではなく、差別と抑圧を負った一人のサマリア人であり、この小さな存在に神のみ心は示されていると主張します(10章)し、金持ちとラザロの話(16章)もそうです。
”「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある、しかし人の子にはまくらする所がない」。”(ルカ 9:58、口語訳)
枕する所すら持たないイエスをキリスト(救い主)と告白するのがこの福音書です。
私たちも「穴」や「巣」と思っているものが失われ、安住の気持ちが揺らぎ、人生の不安にたたずむ時こそ、イエスに出会う時と場へと導かれているのではないでしょうか。
韓国の新約聖書神学者・安炳茂(アン・ビョンム)氏は言っています。
「神学は本来から、王座に座る栄光の学問でもなく、支配者の理論でもなく……それは事実上受難者のものであり、抑圧された者のものであり、仕えるためである。それが今日立っている座は、まさにイエスが降りてこられた座である」(安炳茂)
私たちには、不都合で、忍び難く、微細であるような場こそ、神の空間であることを、このクリスマスにもう一度、心に刻みつけようではありませんか。
(1986年12月21日 神戸教会 岩井健作)
1986年 説教・週報・等々
(神戸教会8〜9年目)