戸の外から《ヨハネ黙示録 3:14-22》(1986 週報・説教要旨・待降節)

1986年12月14日、待降節第3主日
(説教要旨は翌週週報に掲載)

(牧会28年、神戸教会牧師9年、健作さん53歳)

ヨハネの黙示録 3:14-22、説教題「戸の外から」岩井健作

 ”見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって、彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。”(ヨハネの黙示録 3:20、口語訳)


 ローマのドミティアヌス帝(AD81-96)の時代のキリスト教徒に対する迫害は、皇帝礼拝に逆らう者に向けられ、キリスト告白そのものが問題とされた。

 その時代に小アジアのいくつかの教会に対し、信仰の励ましを語った文書が「ヨハネの黙示録」であった。

 神の揺るぎない支配を信じ、神の約束の成就を期待し、キリストの再臨を待ち望む信仰が促されている。

 2章〜3章には、7つの教会への戒めがある。

 その最後、ラオデキヤの教会へは厳しい叱責が述べられている(ヨハネの黙示録 3:14-19)。

 富裕だったラオデキヤの街の生き方は、教会を「冷やかにもあらず、熱きにもあらず」の状態に引き込んだようだ。

 ”わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであって欲しい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。(ヨハネの黙示録 3:15-16、口語訳)

 生活の安定を揺さぶられない程度の信仰とは、一体何なのかが問われている。

 著者は7つの教会への戒めを締め括るところで、20節の如く、キリストの再臨に備えて、忠実な信仰生活への勧告を行なっている。

 迫害を行う側(ローマ帝国)、すなわち支配の側の思想に組み込まれない日常生活の生活態度、習慣、思考の重要さが訴えられる。

 このテキストを《待降節》と結びつけたのは、かの「音楽家 J.S.バッハ」である。

 教会カンタータ61番は「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」と題され、弦を弾く音で《戸を叩く》音を表して、ヨハネ黙示録3章20節を”バス”の声で唄う。

 宗教改革後の礼拝形式に導入して、教会暦を活性化させたところに、プロテスタントとしての「バッハ」の《創造的力》がある。

(参考:1986年12月5日、バッハ作曲「教会カンタータ61番」は「神戸バッハ・カンタータ・アンサンブル」により神戸教会で演奏された)


 「戸の外から」のキリストの訪(おとない)を聴くとは、戸の内の、閉ざされた平均的感覚を破ることへの促しである。

 私たちの生き方は知らない間に、当面の社会体制内の感覚、そこでの常識的意識に閉ざされている。

 ということは、底辺や辺境や狂気など、尺貫に合わない周辺からの叫びが、たとえ人間の切実なる叫びであったとしても、届かないほどに閉塞された中に生きている。

 ラオデキヤの教会がそうであったとすれば、私たち現代の教会が例外であり得るなど、誰が言えようか。

 黙示録3章20節を改めて神の声として聞く教会であらねばならない。

 ”見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって、彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。”(ヨハネの黙示録 3:20、口語訳)


 今年もこの季節になり、献金や働きへの支援と祈りの要請は多い。

 どれだけ出来るかというより、その底にある「外から戸をたたく」キリストの佇(たたず)まいに心を開くことが大切である。

 だがもっと中心的な事は、戸の外に立つ方が在ることではないだろうか。

 そのことは心に留めたい。

(1986年12月14日 神戸教会 岩井健作)


1986年 説教・週報・等々
(神戸教会8〜9年目)

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