祈りと待望《イザヤ 64:1-5》(1985 説教要旨・週報・待降節)

1985年12月15日、待降節第3主日
(説教要旨は翌週週報に掲載)

(牧会27年、神戸教会牧師8年、健作さん52歳)

【1985年 神戸市民クリスマス】
日時:1985年12月18日(水)午後6時20分開演
場所:神戸文化(中)ホール
お話:「弱さと強さ」阿部志郎氏(横須賀基督教社会館館長)
主催:神戸市民クリスマス委員会(神戸キリスト教諸教会、YMCA、YWCA)

【幼稚園クリスマス】
石井幼稚園 1985年12月18日(水)午前9時半
いずみ幼稚園 1985年12月19日(木)午前9時半
CS石井校クリスマス 1985年12月21日(土)午後5時-6時
CS花隈校クリスマス 1985年12月22日(日)午後5時-6時

【クリスマス礼拝】214名
1985年12月22日(日)午前10時15分
ベツレヘムの牧者」岩井健作牧師
 洗礼式・聖餐式
 礼拝後、クリスマス愛餐会 145名

【クリスマス燭火讃美礼拝】386名
1985年12月24日(火)午後7時半-8時半
「博士たちの贈り物」岩井健作牧師
合唱:神戸教会聖歌隊、奏楽:瀬尾千絵姉


イザヤ書 64:1-5、説教題「祈りと待望」岩井健作

 ”どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。”(イザヤ書 64:1、口語訳)


 今朝共に読んだ交読文39番、イザヤ書53章は「苦難の僕(しもべ)の歌」と言われ、長い歴史を貫いて人の心を動かしてきた歌である。

 深い理由があって作者の名前は秘されている。

 後の世の人は作者を「第二イザヤ」と呼んでいる。

 時代は今から2500年あまり前、イスラエル民族のバビロン捕囚末期、ペルシア帝国が勃興するに至り、解放と祖国帰還の時が到来した。

 この時、民族を指導したのが、第二イザヤである。

 彼は故国帰還後、政治的独立を目指し、政治的指導者として”セシルバザル”という人物を立てて、この人をイスラエルを救うメシア的王として、密かに即位させた。

 そして「神殿復興」への備えを始めた。

 このことは、ペルシア帝国が到底承認しがたいことであり、彼は帰還の民の代表として独立運動の責任を取らされ捕らえられた。

 彼は一人で責任を負い、苦しめられ、虐げられたけれども、遂に口を開かず、屠場に引かれる子羊のように黙して、人々に代わって「罪」を負い、遂に不法な裁きで殺されてしまう。

 しかし、帰還の民は、彼の犠牲により破滅を免れ、エルサレム周辺に住み着くことが可能になる。

 民衆の心に刻まれた指導者の姿はやがて「苦難の僕(しもべ)の歌」となって語り継がれる。

 本人の名も作者の名も秘されたまま、民衆自身が彼を殺した側と質的には繋がっているという罪責の思いを込めて、感動を込めて語り継がれる。

 少し後の時代にも同じようなことが起きた。

 老預言者”ハガイ”が立てたユダの総督”ゼルバベル”が、ペルシア官憲に圧殺される。

 民族は失意と挫折の中で「苦難の僕の歌」を思い起こし、激しく神に救いを求める待望の祈りを捧げる。

 これが、イザヤ書64章1〜5節である。

 ”どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。
火が柴木を燃やし、火が水を沸かすときのごとく下られるように。
そして、み名をあなたのあだにあらわし、もろもろの国をあなたの前に 震えおののかせられるように。
あなたは、われわれが期待しなかった恐るべき事をなされた時に下られたので、山々は震い動いた。
いにしえからこのかた、あなたのほか神を待ち望む者に、このような事を行われた神を聞いたことはなく、耳に入れたこともなく、目に見えたこともない。
あなたは喜んで義を行い、あなたの道にあって、あなたを記念する者を迎えられる。
見よ、あなたは怒られた、われわれは罪を犯した。
われわれは久しく罪のうちにあったが。
われわれは救われるであろうか。”
(イザヤ書 64:1-5、口語訳)


 代々の教会は、このテキストを待降節の時に読んできた。

 それは、いつの時代も独立と自由にとっては暗黒が覆い被さっているからであろう。

 イエスの時代もそうであり「御国を来たらせ給え」と祈られている。

 さて、このイザヤ書64章1節の激しさには撃たれる。

 ”どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。”(イザヤ 64:1、口語訳)

 天が裂けるのを待つ祈りである。

 そこには神を待つ心の激しさと、救いへの強い確信がある。

 1914年、第一次世界大戦の開戦時のドイツ、キリスト者までもが戦争に協賛する嵐の中、牧師ブルームハルトは次のように語った。

 ”困難な時こそ、正しいもの、永遠的なものが準備されているのだということを思わなければならない。なぜなら、大地は神の永遠の力と天地において成るべき神の意志によって充たされなければならないから”

 大地に立って、天が裂けよ、と激しく待つ祈りを、状況の困難さの中で持続しつつ、クリスマスを迎えたい。

(1985年12月15日 神戸教会 岩井健作)


1985年 説教・週報・等々
(神戸教会7〜8年目)

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