母マリヤと幼な子(1985 石井幼稚園)

「石井幼稚園・石井伝道所だより」1985年12月 クリスマス号 所収

(神戸教会牧師・石井幼稚園代表役員 52歳)

そして、家に入って母マリヤのそばにいる幼な子に会い…… マタイ 2:11

おかあさん
おかあさん
おかあさんてば
おかあさん
なんにもごようはないけれど
なんだかよびたい
おかあさん

 子供の頃私はこんな歌を聴いて心に残っている。私のすぐ下の弟もそんな思い出を語っている(岩井勇児『親の都合・子どものつごう』第三文明社・灯台ブックス 81 1981、p.43)。

 幼な子にとってはお母さんのそばにいることが「ごよう」なのであろう。母のそばに、というのはいい言葉である。母から引き離された幼な子の姿ほど悲惨なものはない。

 コロンビアの火山災害の映像のうちでも亡き母を求めて泣く幼な子の姿は痛恨の極みであった。

『子供の目に映った戦争ー第二次世界大戦ポーランド』(グリーンピース出版局 1985/05)という絵本はポーランドの子どもたちが、かの大戦後、描いた6千枚の絵の中から151枚を選んで出版されたものだという。

 石井順氏(「こどもの文化」誌編集長)は、その中の「ドイツ兵が僕のお母さんを殺した、僕のお母さん」という題の絵の衝撃を語っている(同誌85年8月号)。その絵はお母さんの遺体が収められた棺桶だけを描いているという。顔さえも描けない母への魂の傷の深さが胸に突き刺さってくる。

 靖国公式参拝、軍事費GNP1%突破、スパイ防止法案の三者を中曽根首相は今年舞台に乗せた。軍国元年とも言われている。その中には母と幼な子の引き離された姿が二重写しになっていないと誰が言い切れよう。

 聖書の福音書、イエス生誕の記事の中に描かれている「母マリヤのそばにいる幼な子」の構図は、究極の平和の構図を示している。

 今年も園児たちはページェントでこの構図を演じるであろう。

 日々の生活の中で、戦争への流れに無自覚に流されるのか、平和への志向へといささかでも手を貸すのか、大人の心を問うように演じられているのではないだろうか。クリスマスを雑に過ごすまい。