新人《コロサイ 3:1-11》(1983 説教要旨・週報・待降節)

1983年12月11日、待降節第3主日、
説教要旨は翌週の週報に掲載

(牧会25年、神戸教会牧師6年目、健作さん50歳)

コロサイ 3:1-11、説教題「新人」岩井健作
”あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。”(コロサイ人への手紙 3:3、口語訳)


 「コロサイ人への手紙」は大きく分けて、1〜2章の信仰の本質や論理を述べた部分と3〜4章の信仰の実践や倫理を説いている部分によって、成り立っている。

 前半は「コロサイの哲学」と呼ばれた異端の考え方を厳しく反駁している。

 信仰とは「もろもろの霊力」を「知識(グノーシス)」によってコントロールして神に至るという上昇思考ではなく、神と人とをつなぐ唯一の通路はキリストであり「御子は見えない神のかたち」であり、このキリスト論なしでは信仰は成り立たないことが述べられている。

 後半はその展開と実践としての具体的な戒めが説かれる。


 ここで注意したいことは、前半と後半、信仰と倫理の順序は逆にできないということである。

 ということは、救いの事実(恵み)に基づいて初めて戒めがある。

 戒め(倫理)だけが命令的に権威的に、倫理主義的にだけ述べられるのではない。

 このことが3章1節の構造でもある。

 「あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから(文法的には直接法)、上にあるものを求めなさい(命令法)」の一文によく示されている。

 ”このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。”(コロサイ人への手紙 3:1a、口語訳)


 ここでは2章12節ですでに述べられたキリスト者がどこに帰属するかということがもう一度繰り返されている。

 ”あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。”(コロサイ人への手紙 2:12、口語訳)

 古き人、すなわち地上の尺度で見られることには一度死んで、キリストと共によみがえらされた《新しい人》という終末論的可能性《あなたがたのいのちは神のうちに隠されているということ》の中に自分を見るように、ということである。

 このような構造の中で語られる倫理は決して単なる命令ではなく、主体的行動を促し、キリストと共に栄光にあずかる約束を与える。


 3章5〜8節は、悪しき習慣、古い道徳からの訣別が勧められる。

 5つの悪徳の根本を偶像礼拝で締め括っていることを見逃してはならない。

 自己拡充の倫理を廃絶できる転換点は、信仰の問題である。


 9〜11節、古き人を脱ぎ捨て、《新しい人》を着ること。

 ”あなたがたは古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。”(コロサイ人への手紙 3:9-10、口語訳)

 倫理の具体的転換をたどる道筋で2つのことが述べられる。

 一つは言葉の問題。「互いに嘘を言ってはならない」(3:9)。

 言葉の真実を取り戻すことの中で《新しい人》は形成される。

 その上で、民族差別、身分差別、宗教的文化的差別が克服されていく。


 在日大韓基督教会との宣教協約を実質化していくことの中で、大韓教会の洪議長は「日本人は口で言っていることと腹の中とは違うのではないか」という不安を本当に取り除いて欲しいという意味のことを言われた。

 言葉の真実が《新しい人》への転換の根にあることを深く思わされた。

(1983年12月11日 説教要旨 岩井健作)


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