武器なきたたかい《サムエル上 17:37-49》(1983 礼拝説教要旨・週報)

1983年7月24日、聖霊降臨節第10主日、
説教要旨は翌週の週報に掲載
《1983年 夏期特別集会:橋本滋男氏》の翌週

(牧会25年、神戸教会牧師6年目、健作さん49歳)

サムエル記上 17:37-49、Ⅱコリント 6:1-10、説教題「武器なきたたかい」岩井健作
”イスラエルに神がおられることを全地に知らせよう”(サムエル記上 17:46)


 今日は、主日聖書日課のうち旧約のテキストから学びます。

「ダビデとゴリアテ」の物語です。

 聖書の中では大変有名なお話なので筋はご存知のことと思います。

 ペリシテとイスラエルの戦いにおいて、巨人ゴリアテを羊飼いの少年ダビデが倒したというお話です。

 歴史的背景としては、紀元前11世紀中葉、カナンに侵入し鉄器文明による軍事力を駆使して都市国家を形成していたペリシテ人に対して、自営農民の契約共同体であったイスラエルの戦いを舞台としています。

 ダビデの英雄物語の一端ともとれますが、物語のねらいは、イスラエル自身の信仰的あり方への批判です。


 鉄器文明、都市国家文明という力による文明に対して、イスラエルの契約共同体文化、信仰による文化の独自性を貫くための戦いが、外面的戦いというよりもむしろ内面的なところにある、という指摘がこの物語にはあります。

 ゴリアテを恐れる(17:11)ものの考え方の克服、「十の乾酪(かんらく:チーズ)」(17:18)を賄賂とするような悪しき官僚機構の芽生えの克服など、どこを土台にして行うのか、という問題提起の物語です。

 神のみを恐れることを忘れたイスラエル、即ちあたかも神が居まし給わないかのごとく、具体的問題に足をさらわれるイスラエルの覚醒の物語です。

「イスラエルに神がおられることを……知らせる」信仰の徹底化の物語です(フォン・ラート)。


 ゴリアテの冷戦・神経戦・威嚇戦術・最新装備に対抗するのに、少年が登場し「慣れない」鎧は用いられず、ただ羊飼いの日常で鍛え上げられた感覚と知恵が用いられます。

 そこには、神は武力や支配力と共に居ますのではなく、羊を飼う共同体の契約の精神と共に居まし給うという確信と明晰さがあります。

 その明晰さを取り戻すための内なる戦いが、ダビデの《武器なき戦い》でありました。

 私たちがぶつかる出来事においても、外面の問題の底に、内面的戦い、信仰の戦いの問題が必ずあります。

 事柄をその面で捉えることができるかどうかが信仰者にとって大事なことです。


 日髙六郎氏は『戦後思想を考える』(岩波新書 1980)の中で、私たち日本人のあり方をいろいろ論じた中で、その問題点を「主体としてゆるやかに自己崩壊しつつある危機」と言っています。

 ゴリアテの前で自己崩壊しつつあったイスラエルに、私たちも自分の姿を照らし出される思いがします。

「神はいまし給う」という根源的信仰感覚が十全に養われるような日常の「武器なきたたかい」をしてまいりたいと存じます。

(1983年7月24日 説教要旨 岩井健作)


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