1983年6月26日、聖霊降臨節第6主日、沖縄の日
説教要旨は翌週の週報に掲載
前日25日、教会員葬儀 司式
出張:27日〜29日 日本キリスト教社会事業同盟総会(広島)
(牧会25年、神戸教会牧師6年目、健作さん49歳)
ルカ 17:11-19、使徒行伝 11:1-18、説教題「差し向けられた人たち」岩井健作
”ちょうどその時、カイザリヤからつかわされてきた三人の人が、わたしたちの泊まっていた家に着いた。”(使徒行伝 11:11、口語訳)
”そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。”(使徒言行録 11:11、新共同訳)
今日は聖書日課に従って使徒行伝(10章〜11章)に記されている美しい伝道物語「コルネリオ物語」から学びます。
カイサリアの敬虔な百卒長コルネリオがその敬神の日々の故に神からの幻を受け、ヨッパのペテロのところに使いを出し、家に迎えて一家がキリスト信徒になったという物語です。
おそらくこれはカイサリア教会の起源についての物語で、事実の証言として感動をもって語り伝えられたものと思われます。
神戸教会には神戸教会の創設物語があるように、どの教会にも感動的な「証し」としての物語があります。
ごく初期の初代教会の時代は「ユダヤ人以外の者には、だれにも御言葉を語っていなかった」(使徒行伝 11:19)とあります。
”さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言(みことば)を語っていなかった。”(使徒行伝 11:19、口語訳)
それをペテロが異邦人伝道を始めたのですから、ユダヤ主義的キリスト者からの非難は凄まじいものがあったに違いありません。
それは主として「割礼問題」「異邦人と食卓を共にする問題」でした。
ペテロがそれをどうやって克服したのかを、著者は「食物の幻」(使徒10:9以下、11:5以下)を語りつつ、「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れて下さることが、ほんとうによく分かってきました」(使徒10:35)と、その経過と結論を語っています。
”そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。”(使徒行伝 10:35)
今日のテキストの主要点は、初代教会内部のユダヤ主義的「割礼派」と異邦人伝道推進派との厳しい対立がどうやって克服されていったか、という点にあります。
ペテロは「割礼派」の非難に対して「口を開いて、順序正しく説明して言った」(11:4)とあります。
ペテロが語ったのは、自分の立場や主張でもなく、まして対立に対する感情でもなく、神のなせる出来事の次第でした。
割礼派の人たちが、割礼という制度や形式や手続きを守るために、そしてそれ以外に神の恵みが伝わる手段がないという自己の神学に固執するならば、その頑固さは現に、異邦人が福音により神の恵みに生かされているという事実の前には崩れ去るでしょう。
ペテロが自分の固定観念を破られて立ち上がり、行動するまでには、体験的には色々なことがあったと想像されます。
このテキストではそれは「つかわされた三人の人」(11:11)が契機となっています。
”ちょうどその時、カイザリヤからつかわされてきた三人の人が、わたしたちの泊まっていた家に着いた。”(使徒行伝 11:11、口語訳)
そして割礼派の人々も「沈黙」(11:18)してしまいました。
神の前での沈黙は新しい聴従と讃美(11:18)の大切な過程です。
”人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。”(使徒行伝 11:18、口語訳)
さて、現代の教会にも、転換を促し、神の恵みの事実へと、差し向けられた人々が訪ねてきているのに違いありません。
心したいと存じます。
(1983年6月26日 主日礼拝説教要旨)