1981.8.23、神戸教会 週報掲載
(1981年7月当時)日本基督教団 総会議長 後宮俊夫
この日の説教:ラザロよ、出てきなさい《ヨハネ 11:17-44》
日本基督教団はイエス•キリストをかしらと仰ぐ公同教会であります。
理解に多少の相違はあっても、わたしたちは「信仰告白」を奉じて、主イエス•キリストをかしらと仰ぐ公同教会として、その信仰の達成にそれぞれ努力をしています。
わたしたちは、主イエス•キリストのからだなる教会として、その在り方を真剣に求めるなかで、1969年以来さまざまな問題があらわとなり、この解明に向って苦闘してきました。
しかし、わたしたちをめぐる社会の情勢は大きく変化しつつあります。
教団内の問題が解決していないからといって、この世に対するわたしたちの使命をないがしろにすることはできません。
第二次世界大戦後のわが国は、経済力の回復にともなって、再び戦争への歩みをなしつつあることを恐れます。
政府は、防衛のためとの名分を掲げて、世論を巧みに操作しつつ、諸政策を進めています。
すなわち、靖国神社の国営化を目ざし、その前段階として天皇・首相の公式参拝を実現するため、私的を称しつつ閣僚等の公然たる集団参拝を行いました。
地方議会では公式参拝推進の決議があいついでいます。
また自衛隊の戦力増強、非核三原則の空洞化、教科書検定などに見られる学校教育への規制など、憲法改悪を目ざす策動が着々と進められています。
更には、諸宗教団体に対しても「国民道徳を高めるため」という名目で、政府への協力の要請を開始してきています。
第二次世界大戦に至るまでの過去の歴史においても、侵略は「国を守る」という美名のもとに行われ、遂には国家の生命線を守るのだと言いつつ、戦争・破滅へと進んで行きました。
イエスは主であるとの告白は、わたしたちの生活の全領域でなされなければならないものであります。
わたしたちは今日の時局に際して、深い憂慮を感じるとともに、かつてこの国が戦争への道を歩んだとき、教団が正しい判断と行動とを取り得なかったことの反省に立ち、教団が再びそのあやまちを犯すことのないように「イエス•キリストは主である」との信仰に堅く立って、わたしたちの生のすべての面で、主の御言葉に従って歩み協力して日本と世界に負っている使命を果たして行きたく願います。
ペテロはイエス•キリストと告白したすぐ後に、主が受難を予告されたとき、これをいさめて主から「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱責されました。(マルコ 8:34)
この時代にあって、神のことを思わないで、人のことを思う自らの弱さを覚え、主のお叱りを私のものとして受けとめ、ひたすらキリストに従っていきたく、聖霊の助けを祈り求めつつ、この見解を発表します。
日本基督教団 総会議長 後宮俊夫
1981年7月7日 第二回(臨時)常議員会 了承
この日の説教:ラザロよ、出てきなさい《ヨハネ 11:17-44》
教会の共同、その質を
(1981年9月15日発行「兵庫教区報」掲載)