本の紹介(1979 秋の伝道集会前・神学校日)

神戸教会週報(1979年10月14日)に掲載
(翌週は関田寛雄さんを講師に招いた秋の特別伝道集会)
▶️ 秋の伝道集会の案内文

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん46歳)


関田寛雄著『キリスト教入門4 教会』(日本基督教団出版局 1978年2月)


 ものごとを習得する場合、頭でわかる部分はごく骨組みとか表面に過ぎない。

 心や体で会得してこそ身につくものとなる。

 ということは信仰の理解についても例外ではない。

 しかし、日本人のキリスト教理解は理論に偏し、生活や文化の深層に届いていないという批判をしばしば聞く。

 例えば、聖書では中心的な概念である、人格関係(神と人、人と人)ということ一つを考えても、理論ではわかっていながら、実践的にはそれを作り出せないまま、上滑りしてしまっていることを指している。

 こういったことを、地道に考え直していく足場を確保するには、私は「教会」という場に身を置く以外にないと思っている。

 もちろん現実の教会が、人間の関係性や共同性ということの思想や実践ですぐれているという訳ではないが、少なくとも、イエスが人間の歴史に関わられた関わりの深さをもって、この問題を負っていこうとする場として、ここを外すことは出来ない。


 その意味で「教会とは何か」を問うことは、信仰のあり方を本格的に考えることであり、関田寛雄氏の著作は、入門的、概説的、正統的でありながら、同時に日本の教会の現状に問いを発している実践的な教会論である。

 内容は、第1章が「教会の起源」、第2章が「教会の権威」として記され、教会について考えていく場合の基礎的な筋道が述べられている。

 しかし、この本の中心は第3章の「教会の宣教」である。

 著者は「教会」を「歴史における神の救いに参与する、キリストを信じる共同体」であるとし、欠点や弱点を含みつつも、与えられた使命に生きるものであり、「キリストと共に『重荷』を負う者」(マタイ 11:28-30)の喜びの場であると、この本を結んでいる(『教会』 p.128)が、それを捉えるために、反省すべき5つの教会のタイプを歴史と現実に即して挙げ、「世界の僕(しもべ)なる教会」という表現で教会の姿を表している。

 それが実践的に実現されていくため、礼拝・説教・聖礼典・祈り・教会生活といった要素の真の意味を掘り起こしている。

 このたび幸いに、著者を秋の伝道礼拝の講師としてお迎えすることになった。

 この本には出てこない著者の、青山学院神学科廃科問題への関わり、開拓伝道、障害児への統合保育という多方面の教会的働きから本書を読むと、一層行間に光るものを覚える。

(1979年10月14日 神戸教会週報掲載 岩井健作)


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