教会の弱さと強さ《Ⅰコリント 14:1-5》(1979 礼拝説教要旨・週報)

1979.4.22、教会創立105周年記念礼拝、神戸教会
説教要旨は5月13日の週報に掲載

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん45歳)

Ⅰコリント 14:1-5、説教題「教会の弱さと強さ」


 本日は、わが神戸教会の創立105年目の記念礼拝であり、また新しい年度の宣教の歩みを整えるべき教会総会の日でもある。

 続けて学んでいるコリント第1の手紙から「教会」につき考えたい。


「愛を追い求めなさい」(14:1)と促されている。

”愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。”(Ⅰコリント 14:1、口語訳)

「愛を大切に」とか「愛を育てよ」とは言われていない。

 ここでいう「愛」(13章に述べられた)は、もともと我々の手の内にはないものだ。

 もし「愛」が「在る」とするなら「神の愛」として「キリストの愛」として在る。

 しかし、ちょうど我々の手の内に太陽の光がなくとも陽光を受けようと「追い求める」ことの出来るようなものが「愛」ではないだろうか。


 パウロは「愛を追い求める」という普遍的テーマを、コリントの現状では「異言」(自分だけの宗教的熱狂)ではなく「預言」(他人を励まし、諫め、活かす言葉の語り方)を語ることだ、と具体化する。

 自分が相手のために何かをする(自分の手の内にあるもので)ということは、愛のようで、愛ではない。

 それは「自分だけの徳を高める」(4節)もの、「異言」である。

”異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。”(Ⅰコリント 14:4、口語訳)

 相手を理解し、相手に対して忍耐し、相手を許し、相手を通して「神の愛」を垣間見る、相手と共に生き、相手を励まし、諌めるような関係の中での言葉が「預言」である。

 教会の中にはこの「異言」と「預言」とが二つとも渦巻いている。

 これがコリント教会の現状であり、他ならぬ現代の私たちの教会の現実でもある。


 種谷牧師は教会の伝道論について、教会は信徒(牧師を含めて)相互の「訓戒力」をつけねばダメだ、と語っているが、ここでいう「預言」のことだろうと思う。

(サイト記)種谷俊一牧師(日本基督教団 尼崎教会牧師)説教の2日前「教区・教職・信徒のための神学講座」で講演。以下添付の週報に講演について報告されている。

 教会の強さ弱さは、教会が大きいか小さいかではないし、経済力だけでもない。

「異言」と「預言」とが渦巻く中で「預言を志向する力」が強いか弱いか、が問題であり、「預言」の原動力である「愛を追い求める」ことの強さ弱さを言うのだと思う。


 日本基督教団は、教会の「体質改善」ということを10数年前に言った。

 これは教会の中での信徒相互の人間関係の質の強くなることを言っている。

 と同時に、社会の色々な問題を持ち込んで、その上での質の強さを求めた宣教の姿勢のことを意味している。

 1979年、我々の教会も宣教方針(会報91号)で5つの基本を挙げた。

 祈りのうちに共に深めていきたいと思う。

(4月22日 教会創立105周年記念礼拝説教要旨)


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