1979年度 宣教方針(1979 神戸教会)

1979.4.1、神戸教会 1979年度宣教方針

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん45歳)


 1978年度の教会一年の歩みを省み、私たちの欠けにもかかわらず、主の恵みが豊かに加えられたことを憶え、共に感謝したいと思います。

 今年度の宣教の基本について、5つの点を心に留めたいと思います。

1.礼拝について

 礼拝は教会の宣教の中心であります。これを己が信仰生活、また教会の証しの生命として、ひたすら守る兄弟姉妹を、神が導き養い給うたことは、大いなる希望であります。

 礼拝は、真実な罪の懺悔、「神の言葉」への聴従、信仰の告白、讃美と感謝、新たなる献身であります。

 これが家庭生活・職業生活・社会生活の重い現実の底に関わってなされるに至るまでには、生活と信仰とがどこかで分離してしまうこと、身にそまっている近代的キリスト教の質を超えるために担わねばならない苦悩というものがたくさんあります。

 それらに目をつぶらないで、教会標語の「み言葉」に活かされつつ、礼拝の焦点を見定めてまいりたいと存じます。

2.交わりについて

 教会は「召された者の集い」です。

 神が招き集め給うことに応えて集うという、各人それぞれの神との関係を強め確かなものにするところに横の人間関係の意味を見るのが教会の交わりです。

 直接的人間中心関係の脆さが顕わにされ、質が変えられ、訓練されていく交わりでありたいと思います。そのような「神の与える訓練」に耐え、主にある交わりを作りだしていく過程が世に対する証しでありますから、各部の活動等がそういった証しとなり得るように祈っていきたいと思います。

3.共に育つ教会

 伝道は福音を知らない人に福音を伝えることでありますが、それは伝える対象の人と共に福音にあずかり、その人との交わりに生きることを抜きにして伝えられるものではありません。

 昨年度「ピリピ人への手紙」や「コリント人への第一の手紙」を講壇で学びましたが、その中のグノーシス(知識)主義の人は、自分の信仰理解を完成させてしまって、交わりの中で自分も相手と共に成長するという視点を失っていたことを見てきました。

 神を求め、イエスに従おうとしている様々な人が、それぞれ信仰の成長を促されるようなところに重きを置いて、活動やプログラムを組んでいくことを目指したいと思います。

 教会という場で自分も育てられ、また人を育てる責任を各自が持つようになりたいと思います。

4.全体教会との繋がりの中で

 足元を見ていると自分の教会のことだけで自足し勝ちですが、現代の歴史の中で色々な証しを担っている教会から問題意識や問いかけを与えられていきたいと思います。

 さしずめ、沖縄の教会、靖国問題、日韓の教会の関わり、部落問題などは宣教の根本をもう一度問い返される問題です。

5.地域への業としての幼稚園

 これは大変な課題です。

 二つの幼稚園の業が宣教の基本にふさわしいものであるよう祈ってまいりたいと存じます。

 石井幼稚園の園舎改築を通して「人間のわざ」が残るのではなく、「神のみわざ」が残るような取り組みができるよう励まし合っていきたいと存じます。

(神戸教会牧師 岩井健作)

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