1978.12.31、歳末感謝、神戸教会週報
(牧会20年、神戸教会牧師 1年目、健作さん45歳)
この日の礼拝:ピリピ 4:1-7、説教題「いつも喜びなさい」
(サイト記)本稿は、前週のクリスマス燭火讃美礼拝、幼稚園のクリスマス会で引用された2冊の本を改めて、手に取りやすいよう、紹介したものである。原文は小さな子供でも読めるよう”ひらがな表記”が多いが、サイトでは漢字表記に編集した。
「クリスマスのお話の本」 岩井健作
『アンデレのふしぎな夜』(文・城戸典子、絵・鈴木靖将、日本基督教団出版局 1978)
小さな羊飼いのアンデレは、不思議な星に導かれてベツレヘムに駆けていきます。
途中、ひいおばあさんの預言者アンナに「救い主」っていう赤ちゃんが、どんな方だか教えてもらいます。
神のもとに人を漁(すなど)り、神の言葉の種を蒔き、ぶどうの木の上に枝を養い、そして、私たちの罪のために十字架につけられる方だと。
アンデレは、貧しい人、悩める人の幻を見ます。
そして、生まれたばかりのあの赤ちゃんの頬に涙が流れているのを見ます。
アンナにもらったハンカチで、そっと涙を拭いてあげる、アンデレの不思議な夜、というお話。
『もう一人の博士』(ヘンリー・ヴァン・ダイク、岡田尚訳、キリスト教少年文庫、新教出版社 1964)
もう一つは、有名な「アルタバンの旅」というお話。
東の国からベツレヘムへと旅立ったアルタバンは、途中、倒れている病人を救ったため、3人の博士の一行に遅れてしまいます。
旅の出直しのため捧げ物の一つであるサファイアを使ってしまい、やっと着いたベツレヘムでは、通りすがりの家の赤ん坊をヘロデによる虐殺から救うためにルビーを使い、その後33年間もエジプトからエルサレムへと彷徨(さまよ)い、残る宝の一つも、奴隷に売られようとしている娘を救うために使い果たしました。
その後、十字架につけられるナザレのイエスを取り囲む騒ぎの中で「最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」との言葉を聞き、探し求めていた「王」に巡り会えたという物語です。
私はアンデレのお話を幼稚園のクリスマスでしましたし、12月3日の礼拝説教「主を待つ心」の例話として引用させていただきました。
アルタバンのお話は、燭火讃美礼拝と教会学校のクリスマスで引用させていただきました。
それは、どちらのお話も「イエスの誕生」を誕生物語としてだけ捉えるのではなくて「十字架の死に極まる生涯全体」に出逢う徴(しるし)として捉えられているからです。
イエスがどんな方であるかを言い表すことが、私たちの信仰告白ですが、そのためには、繰り返し、繰り返し、アンデレのように翔(かけ)り、アルタバンのように旅することで、イエスの生涯の一つ一つの出来事の重さを心に刻まねばならないのではないでしょうか。