引用「反戦牧師 原点のヒロシマ」(2016 インタビュー記事)

2016年5月12日(木) 中國新聞(広島県広島市)地域欄

(文・石川昌義記者、健作さん82歳)

反戦牧師 原点のヒロシマ

 被爆者の声聞き 社会運動へ
 群馬在住の岩井さん 流川教会を訪問
「広島に赴任して初めて、原爆の非人道性を知った」と広島流川教会で振り返る。


 被爆から13年後に広島流川教会(広島市中区)へ赴任し、伝道師として布教に当たった牧師岩井健作さん(82)=群馬県高崎市=が、同教会を十数年ぶりに訪れた。

 呉市や岩国市で反基地運動に携わるなど、自身の反戦運動の原点となった被爆地の思い出を語った。(石川昌義)


 同志社大大学院で神学を学んだ岩井さんは1958年春、広島に赴任した。家族を失った被爆者の悲嘆に耳を傾け、各地の墓碑に刻まれた「8月6日」の文字に触れるうちに「被爆の傷痕の生々しさを実感した」という。

 被爆当時、上流川町(現中区鉄砲町)にあった広島流川教会は1952年、再建された。岩井さんが赴任した当時の牧師は、「原爆乙女」の渡米治療や原爆孤児の「精神養子」運動に取り組んだ谷本清さん(1986年に77歳で死去)。岩井さんは、ケロイドが顔に残る女性信者とも知遇を得た。

 「米国留学の経験もある谷本さんは、原爆を使った国家の非人道性と、被爆者に心を寄せる米国人の温かさを両方、知っていた」と岩井さん。「国家と個人について深く考えるきっかけを与えてくれた」と振り返る。

 岩井さんは1960年、牧師として呉山手教会(呉市)に転任。基地の街で原水禁運動に取り組んだ。岩国教会(岩国市)に赴任した1965年以降はベトナム反戦運動に参画。被爆者の支援にも携わった。

 広島流川教会の招きで広島を訪れた岩井さんは8日、同教会で説教に立った。1970年に上幟町の現在地に移転し、2013年に新築された教会の礼拝堂で「キリスト者として社会運動に関わる芽生えの地が広島だった」と感慨を込めた。

 広島から自宅に戻った10日夜、オバマ米大統領の広島訪問が決まった。岩井さんは「米国のトップとして被爆地に立つ以上、原爆を使用した罪と責任を真正面から見据えた言動が必要。多くの被爆者の悲しみを理解してほしい」と訴える。

(中國新聞 2016年5月12日、文・石川昌義、インタビュー記事)


 ▷ 説教「複眼の教会」岩井健作《フィリピ 1:12、4:8-9》(広島流川教会 130周年記念礼拝、2016年5月8日)


 

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