2013.7.28、明治学院教会(316)聖霊降臨節 ⑪
(単立明治学院教会牧師8年目、健作さん79歳)
サムエル上 1:12-28、ローマ 8:26-27
1.母がみどり子を抱く姿は、美しいものの一つである。
聖書の「神の救いの物語」には「母と子を通して恵みをもたらす神」というパターンが幾つかある。
旧約聖書の創世記、サラとイサクの話(創世記 21:1-8)。モーセとその母の記録(出エジプト 2:4-10)。ハンナとサムエルの物語(サムエル記上 1:12以降)。マリアとイエスの出来事(ルカ福音書 1:26以降)。
今日はサムエルの物語から「歴史の細部に働き給う神の物語」を学びたい。
2.イスラエル民族のカナン定住生活と圧倒的強さを誇るペリシテ人の侵入。
旧約聖書、士師記には「我々がペリシテ人の支配下にあることを知らないのか。」(士師記 15:11、新共同訳)とある。
さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。(サムエル記上 13:19、新共同訳)
イスラエルの危機を感じられる。
3.埋み火(うずみび:炭火)のようなヤハウェの宗教。
軍事力・経済力と契約の宗教との価値観の衝突。
これは、現代の価値観「お金」(原発)か「いのち」(子ども)か、の激突に似ている。
4.
サムエル記上・下、列王記上・下、歴代誌上・下という旧約の歴史書は、ペリシテ人との対抗の意味を思考する歴史家が、イスラエルの歴史に対する反省や励ましを込めて書いたもの。
歴史家は、一人の母の信仰の物語をもって書き始める。
5.
「エフライムの山地……一人の男がいた。名をエルカナといい、……」(サムエル記上1:1、新共同訳)
「エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はぺニナで、ぺニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった。」(サムエル記上 1:2、新共同訳)
家庭内悲劇の内包。ぺニナはハンナを苦しめる。
6節。「彼女(ハンナ)を敵と見るぺニナ」。
夫エルカナの優しさ(8節)を越える問題。
ハンナは神殿の聖所に逃れ、子を授かりたいとの必死の祈りをする。もし、子が与えられるならば、その子を神ヤハウェに捧げ、神のためのナジル人にするというもの。ナジル人とは神殿に仕える人。祭司エリへの訴え「苦しいことが多くある」(16節)。
今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。(サムエル記上 1:16、新共同訳)
6.祈りは聴かれ、サムエルが与えられる。
3年間そばに置いての子育て。サムエルは母の祈りに全生涯が影響されている人物として、イスラエルの歴史に登場。彼女の祈りの動機は極めて人間的。しかし、それを含めて神は彼女を歴史の節目で用いられた。
7.ローマ帝国の片隅の事件としてのイエスの出来事との類比を覚える。
8.
40年余り前、日本基督教団は若者たちの鋭い問題提起に見舞われた。これを「紛争」と言って教会主流はマイナスにしか評価しない。しかし、そこからずいぶん現代に生きる宗教としての大切なものを得ることができた、と私は思っている。
その問題提起をした一人の牧師の、信仰の道への始まりには、母と子の物語があった。
9.神は歴史の細部に働き給う。
私たちは、自分では「こんな小さなこと」と思いがちだが、一つ一つの日常の小事を大切にして信仰生活を送りたいと思う。
神は、その細部をお用いになって、神の御業を成し遂げられる。

