神が合わせられたもの(2013 結婚式説教)

しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(マルコ福音書 10章6-9節)

2013.2.24(明治学院教会牧師、健作さん79歳)

 夫婦の事を表す英語の表現に”Yoke fellow”という言葉があります。Yoke というのは【くびき】です。昔、一対の牛をつなぎ合わせて仕事をさせる時に首にかけた道具です。夫婦は一つの【くびき】に繋がれているという意味から出てきた言葉です。普通は良い意味に使われます。共に働く者(Fellow worker)とか、連れ合い(spouse)などと同じ意味です。ところが、ある場合には、少々皮肉っぽく【くびき】に繋がれた者たち、不自由な者、篭の中の鳥というように、束縛をされた者たち、というニュアンスに用いられることもあります。

 ある精神科医は、夫婦というものはお互いのために身を削るものなのだが、身の削り方が、どちらかにあまり偏ってはならない。と言いながら、それが、なかなか応分というわけにはいかないものだ、と指摘しています。そういう意味では、夫婦というものはどちらかが、どちらかを引きずったり引きずられたりします。そういう意味では、いささかアイロニカルな意味で”Yoke fellow”なのであります。

 イエスの時代、このニュアンスをよくよく知っていたのがパリサイ派の律法学者でした。イエスの所に来て「モーセは離縁状さえ書けば、妻と離婚してもいいのだと云っている」と男のわがままを認めるような離婚を肯定した発言をしました。ある意味では人間の脆弱性を鋭く見とっている発言です。なかなか人間への洞察に富んだ言葉です。イエスはだからこのパリサイ派の発言に対して「しかし」という一撃から始めます。創世記の男と女は神の創造の秩序によって存在するのだという事を引用します。「二人が一体であるべき」だと創世記にはありますが、「べき」というのは、倫理です。努力目標です。イエスはそうではなく「もはや一体である」と語ります。「である」というのは肯定、祝福です。現状の不完全さにもかかわらず、神の肯定、祝福、のうちにあるという事です。

「神が合わせられたもの」という表現があります。私たちは、ともすると「愛があるから結婚をする」と考えがちです。そうではないのです。「神が合わせる」「神が祝福し、肯定する結婚があるから、愛が育つのです」。愛が結婚を支えるのではなく、神の給う結婚そのものが愛を支えるのです。

 今日は結婚のしるしに指輪を交換します。これは今お二人の手を離れて、置かれています。「牧師の手から」改めて手渡されます。これは神の祝福のしるしです。神が合わせて下さった、という恵みに応える歩みをお二人でなさって下さい。

 八木重吉の「愛のことば」という詩を読んで終わります。

 愛のことばを言おう
 ふかくしてみにくきは
 あさくしてうつくしきにおよばない
 しだいに深くみちびいていただこう
 まずひとつのことばから言いきってみよう

 お祈りをします。

 今日ここで誓約をする二人を祝福し、あなたの恵みの深みへと導いて下さい。

 主イエスの名によって祈ります。