聖霊のうめき(2012 礼拝説教・ペンテコステ)

2012.5.27 明治学院教会(274)聖霊降臨節 ① ペンテコステ礼拝
(配布「聴き手のために」はPDFで掲載)

エレミヤ 6:13-17 、ローマ 8:18-27

「“霊”自らが、言葉にならないうめきをもって執り成してくださるからです」(ローマ 8:26 新共同訳)

1.「うめき」という言葉は「ローマの信徒への手紙」の8章の3か所に出てきます。それぞれ原語と主語が違います。

ローマの信徒への手紙 8:22-26 新共同訳
 被造物が全て今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、”霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
 同様に、”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

 被造物がうめく(ローマ 8:22)。シュステナゾー。共に・嘆息する。新約聖書でここだけ。<共に>が強調されている。

 私たちがうめく(ローマ 8:23)。ステナゾー。ため息をつく。新約聖書で5か所。マルコ 7:34「天を仰いで深く息をつき、その人に向かって…」、イエスが深く息をつく。激しい感情。切望への経過が強調されている。

 ”霊”がうめく(ローマ 8:26)。ステナグモス、うめく、ため息、<エジプトの民の>嘆き。用例:使徒言行録7:34。苦難への共苦に強調がある。

「うめき」はローマの手紙では積極的な意味を荷っています。

2.「痛みを分かち合う」ことの根源に「痛みを分かち合って下さる方がいる」それがこの個所のメッセージです。

 痛みを分かち合い「うめき」を共にするということは一見先の見えない行き詰まりのような気がします。しかし、それは神の御業に参与することです。

「聖霊のうめき」という働きを信じることでそれが現実のものとなっています。痛みを分かち合う以外にない場面で、じっと耐えていると、聖霊がうめきをもって執り成してくださるという大きな輪の中に入れられていることが次第に分かってきます。

3.フィリピンの神学者の言葉が忘れられません。フィリピンでは、かつて米軍基地を国内に置くか置かないかを巡って、闇の力が働いて、人が拘束され、脅迫死させられ、殺してしまう権力(背景は米国)が日常化していたそうです。そこで『正義、平和、被造物の保全』のために闘っていた「民衆の神学者レヴィ・オラシオン」は

「私たちは弱く、困惑しており、どのように祈るかすらも知らない。しかし、聖霊は私たちの助けとなって、私たちの痛みと苦しみを用い、私たちのために執り成しをして下さる」

 と言っています。

4.「完成していた原発を放棄して以来、非原発国であり続けているオーストラリアで、原発を止めるためのデモは、最初、三人だった。その一人と話した時、彼は言っていた。『デモで歩き始めた時、後ろには誰もいなかった。しかし、私一人が行動しても何も変わらないとみんなが思っていることが、本当に世の中が変わらない原因だ』と。さあ、水の温度が少しづつ上がってきている。茹であがる前に声をあげよう。」(アイリーン・美緒子・スミス、岩波書店『世界』2012年6月号)。

 十字架への道を歩むイエスは独りだった事を深く思いだします。

「独り」と「聖霊のうめき」は呼応しています。

祈ります。

 神よ、今私たちは、命を育む生活や社会の危機を経験しています。歯止めのかからない放射能汚染による環境破壊、経済至上主義のもたらす格差社会による差別と弱者の切り捨てなどを身近に感じています。

 私たち自身が、知らない間にその危機の増幅に加担をしています。その罪責を覚えます。私たちの罪をお許しください。

 私たちは、わたしたちの姿にうめきます。しかし、うめきを共にして下さる方の存在を信じ、その執り成しのゆえに、力をお与えください。

 教会が「聖霊の働き」として理解していることにはいろいろな面があります。「うめき」を共にして下さるという聖霊の働きをこのペンテコステの日に信じ、たとえ独りであっても、この重い社会を生き抜き、神の希望を告げていく事をなさしめてください。

 主イエスの御名によって祈ります。アーメン

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