哀しみを通して成就する救い(2012 礼拝説教)

2012.1.15 降誕節(4) マタイ 2:13-23、明治学院教会(260)

明治学院教会牧師 78歳

1.今日の聖書箇所は「ヘロデの幼児虐殺」のお話です。イエス一家はエジプトへ難を避けて逃れます。系図では「聖霊によるイエスの誕生」で「マリアの許婚者」という端役だったヨセフがエジプト逃避行とナザレへの帰還では主役です。「子供とその母親」という表現に、母子を守る頼もしさが滲んでいます。

2.注意深くこの箇所を読むと、この短い箇所に旧約の引用が4箇所もあります。

「ヘロデが死ぬまでそこにいた」(マタイ2:15)(⇦「ソロモンが死ぬまで、エジプトにとどまった」列王記上11:13)。

「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」(マタイ2:15)(⇦「エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」ホセア 11:1)。

「ラマで声が声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き」(マタイ2:18)(⇦「ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている」エレミヤ 31:15)

「この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」(マタイ2:20)(⇦「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった」出エジプト4:19)

 ここにはイスラエルの歴史のエジプトでの奴隷、アッシリア帝国とバビロニア帝国の侵略・虐殺・捕囚が重ねられています。哀しみの追体験です。

「救い」はその哀しみを通してこそ実現しているのだ、というメッセージがあります。

 この箇所のキーワードは「実現(成就)するため」(2:15, 17, 23)です。3箇所も出てきます。ヘロデの虐殺はアッシリアの虐殺に重ねられます。その虐殺を「哀しみの母親ラケル」が草葉の陰で泣いているという故事が引用されます。哀しい出来事です。

 だが、その歴史の中に「救い」が実現してゆく。マタイ福音書の信仰です。その救いは十字架の苦難をかいくぐって実現するのだ、という伏線が言い表されています。

3.現代史の中の「虐殺」の歴史を私たちは想像をします。しかし、虐殺の現場にいなかった私たちはその実像を知りません。歴史記録、証言記録、芸術作品などはそれに迫って伝承を伝えています。アウシュビッツ、南京、沖縄、カンボジア、ベトナム、イラク、パレスチナなど。これらの現代史の細部にはきっとエジプト逃避行を思わせる出来事があったに違いありません。現代史のわずかな灯になっています。そこを生き延びた人たちは現代史の最も暗い部分を自分のこととして負って生きているのではないでしょうか。

 渡辺義治さん、横井量子さん夫妻(ノンフィクション・ステージ 地獄のDECEMBERー哀しみの南京ー)などもそれを負われて生きている方たちです。

4.「彼はナザレ人と呼ばれる」(2:23)の引用は旧約のどこかはっきりしません。

 イザヤ書 11:1「若枝(ネセル)」または、イザヤ書 42:6「見守る人(ナサル)」に結びつける研究者がおります。最近の研究者の中には「ナザレの人(ナザライオス)」を「ナジル」に結びつけて「聖なる人」と理解する方もいます。ナジル人のお話は旧約のサムソンが有名です。苦難をかいくぐって「聖なる者」すなわち「救い主」とされたという意味でしょうか。もちろんナザレは地名で、イエスがそこで育った地ですが、ベツレヘム伝承からナザレへの移行を意義づけたものだと言われます。

5.私たちは「哀しみの現実」の先がイエスの灯に繋がっていることを心に留めて日々歩みたいと思います。

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