2011年4月1日夜執筆(切り抜きだけで掲載誌名不明)
東日本大震災から3週間
(牧会52年、明治学院教会牧師、健作さん77歳)
私は1995年の「阪神淡路大震災」時、現地に居住していて被災もし、住宅・生活・生活資金などの救援活動の一端に関わりました。どの災害時にも自助・互助・公助がいのちとくらしを守ります。しかしあの時「復興」への道のりが人間のいのちを守る基本思考にあったとは思えない過程を被災者の多くは感じました。その流れを『これは「人間の国」か』(筑摩書房 1998)と作家の小田実氏が批判したことが心に残っています。国・行政の復興原理は根本では新自由主義の経済優先で、我々の街では、俗に「神戸市株式会社」方式と揶揄して人々が口にしました。日本の国是を大きく考えるならば、明治以来「富国強兵」の価値観が政治・経済・社会の底流にありました。それは戦後日本の価値観においても、変形こそすれ変わることなく経済優先、安保体制堅持で維持されてきました。貧者・弱者が「いのちとくらし」を闘いとる運動や生き方にとっては「あちら」側の価値観でした。阪神淡路大震災の復興では「あちら」側が結局は勝ちました。震災後、心ある市民が開発の問題性を指摘し反対運動を続けてきた、市営「神戸空港」の建設が震災後にもかかわらず続行されました。市長選挙において22万票対27万票で推進派は勝ち、「こちら」側が、結束の乱れもあって破れたことがその象徴でした。一事が万事で、表面見事な「復興」が成し遂げられたかに見えました。その陰で、被災高齢者の孤独死は増え続けていたのです。現在、空港は経営が成り立たず、関西財界筋から廃止が提言されています。「復興」の虚構性が虚しく響きます。そこを崩せなかった「こちら」側の悔いが残っています。もちろん震災に関連して生まれた諸運動はしこしこと、でも元気に続いています。そんな中でこの度の「東日本大震災」と出会ったのです。
地震の規模・範囲が断然大きい上に、巨大な津波です。筆舌に尽くし難い犠牲者・死者・行方不明者に哀悼の意を表します。被災者の個別の苦難に痛みを禁じ得ません。加えて「原発」の人災です。かつて『原発への警鐘』(講談社文庫 1986)を著した内橋克人氏は、この度の「福島原発」事故について、原子力産業を推進してきた企業、それに「もたれ合い構造」で「原発安全神話」の浸透に力を発揮してきた、政府機関、御用研究者・学者たち、マスメディア(新聞・テレビ局)の総体がこのような悲惨な人災の責任者であることを、名を挙げて厳しく指摘しています。情報や世論操作すら「あちら」側だと指摘しています。今は亡き高木仁三郎氏は「原子力資料情報室」を設立し「市民科学者」を標榜して、その「あちら」側に対して一貫して被害者になりうる「こちら」側、すなわち「人間の側」に立って行動をしました。
エネルギー問題は、究極的には、一人ひとりの生き方の選択に関わります。安楽な「あちら」側の価値観に呑まれたり、加担してゆくのか、それとも苦渋の選択ではあるが「人間の側」に踏みとどまるのか、そこの選択が一人ひとりの問題なのです。もちろん、こまやかな善意の救援活動が当面の命を支えます。しかし、根本的いのちの選択を闘い取ってゆくことは、2011年被災者の大きな課題です。苦しいと思います。「十字架につけられ給いしままなるイエス・キリスト」(ガラテヤ 3:1)を凝視して、いのちの価値観を闘いとってまいりましょう。もちろん連帯をします。
(岩井健作)
