転換(2011 礼拝説教・ヨナ書)

2011.1.9、明治学院教会(217)降誕後 ③

(明治学院教会牧師6年目、牧会52年、健作さん77歳)

ヨナ書 2:1-10
救いは、主にこそある。”(ヨナ書 2:10、新共同訳)

1.ヨナ書2章の物語は、ヨナの「魚の腹」の中での「祈り」です。

 著者はこの物語にふさわしい祈りの言葉を詩編から集めてきました。

 その多くはイスラエル民族の「バビロン捕囚からの解放の感謝」の詩から引用されています。

 ヨナは神の前から逃亡し、自暴自棄で自らを嵐の海に投げ込ませたにもかかわらず、その自我の延長線上にではなく、別の自分自身(命)を与えられたことへの「感謝の祈り」を捧げています。

 3章、4章に引き継がれてゆく転換点がここにはあります。

 ヨナは「預言者」の系譜にある人ですから、律法の規定による「日常の祈り」の何であるかはよく知った人です。

 しかし、この常識人を媒介にして、もう一度「詩編」の信仰を振り返り、祈りとは何かを訴えているのが著者の意図です。

 ここの祈りは、詩編の凝縮だと言ってよいでしょう。

 聖書引用はここだけでも30箇所の関連指摘をしています。

2.「深い海」「波がわたしの上をゆく」「水草が頭に絡み付き」「地は……扉を閉ざす」、日頃は体験しない心の経験が語られます。

 ヨナの常識的考えや信仰では「ニネベになど行けるか(あの異邦の、関わりのない人たちを見据えて)」という日常の自分の考えがあったでしょう。

 だから神から逃げたのです。

 しかし、嵐、自暴自棄の海の中への突入、魚の腹の中の三日三晩という出来事。

 初めて、彼は「神に叫ぶ」のです。

「苦難の中で、わたしが叫ぶと」「陰府の底から、助けを求めると」は皆、詩編の言葉です(18:7、22:25、120:1、130:1、142:2、65:3)。

 新共同訳聖書では、7節の真ん中が一行開けてあります。

「……永久に扉を閉ざす」「しかし、わが神、わが主、あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった」(原文には「開き」がない、口語訳他の訳も)

”わたしは山々の基まで、地の底まで沈み
 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。

 しかし、わが神、主よ
 あなたは命を
  滅びの穴から引き上げてくださった。”
(ヨナ書 2:7、新共同訳)

 これは「しかし」(神の救いの出来事)の物語的強調でしょう。

 私は、ここは「一気に」終わりまで読んだ方がいいと思います。

「苦難・叫び・祈り・聞き届け・救い」という順序は物語の順序です。

 神の出来事としては、2章の初めに「魚に命じて」、終わりに「主が命じられると」とあることが枠組みになっています。

 枠の意味を、イエスの言葉で言い換えれば「わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ 26:29)ですし、「主の祈り」の言葉で翻訳すれば「御名が崇められますように」(マタイ 6:9)でありましょう。

 このことを危機の場で、非日常で経験する物語を辿ることが、信仰生活というものです。

 神の出来事を経験の中で「転換点」として辿るのが、「魚の腹の中の祈り」でありましょう。

 私が、牧会の道を歩み始めた頃、ある仕立て屋さんのご主人の死に際しての夫人の祈りの行動が、その家族の人生の「転換点」であることに深く感動させられた経験があります。


呉山手教会 笠原芳光さんを招いて伝道集会

(サイト記:写真の左端が、本文中の仕立て屋さんご主人。健作さんに初めて背広を心を込めて仕立ててくださった)


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