2010.6.6、明治学院教会(193)聖霊降臨節 ③
(単立明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)
使徒言行録 6:1-7
1.結論を先に述べると、教会の中のゴタゴタの話。
はらはらさせられて、次のステップへと成長をたどる。
課題を負う歩みが、教会の成長である。
ヘブライ語を話すユダヤ人は、多数派で力を持っていた。伝統にこだわる。
ギリシア語を話すユダヤ人は、ユダヤ以外での外国生活をして晩年帰国、ギリシア語を日常言語にしていた。
伴侶を失って一人暮らしの人が多い。ギリシア風文化に馴染み、厳格なユダヤ律法よりも新しく興ってきた”ナザレのイエスの教え”に心を魅かれた人たちであった。
貧しい人たちへの食事の提供は、ユダヤ教の伝統を継ぐ教会内のよい奉仕活動出会った。
「苦情が出た」(使徒 6:1)。言語や生活文化の違いが背景にある。12人の弟子は神の言葉の奉仕に専念するため、ステファノら7人の選出(7人の名前は全部ギリシア名)し、彼らに「祈って彼らの上に手を置いた」(6:5)。奉仕の仕事を任せたのは教会の知恵である。
しかし、「食事の世話の仕事」と「御言葉の奉仕」を分離してよいのか、という課題を教会は負った。
2.伝道の流れの方向は、エルサレムのユダヤ人からヘレニスト•ユダヤ人へ。
そして、ディアスポラ(離散)のユダヤ人へ。さらには、ヘレニスト•ギリシア人(異邦人)へと発展した。
「食卓のこと」のトラブルを、文化の違いの中で問題を担うという方向ではなく、「救いの歴史」の発展に吸収して考えたのが著者。
この考え方を神学者コンツェルマンはルカ文書特有の「救済史観」だと指摘した。
「こうして」(使徒 6:7冒頭)は、救済史観の発展的捉え方。だが、ステファノの迫害が次に続く。難題を経て教会はまた難題へと成長に向かう。
ただし、常に「はらはら」を伴う。ドラマの「はらはら」をどれだけ読み取れるか。
神戸で名高いクリスチャンの小児科医・三宅廉(新生児医療・元パルモア病院院長)は「子どもは親をはらはらさせることで、親の愛情を引き出す」と言っている。
これになぞらえば、教会は「はらはら」させられながら、その時代に神の御旨(福音)を引き出す役割を負っているのではないか。
参考:「使徒言行録とは」(岩井記)
ルカ福音書の続編。イエスの死後、聖霊により教会が成立し、福音がエルサレムからローマにまで広がっていくことを救済史観に立って述べた書物。全28章の構成。
(1)1−12章。ペトロを中心にしたエルサレムからアンテオケ教会の活動。
(2)13-28章。パウロを中心としたローマに至る活動。
① 第一宣教旅行と使徒会議
② 第二宣教旅行
③ 第三宣教旅行
④ ローマへの旅
全体1000節のうち、300節は24の演説および説教。著者の文学的手法として、主語が「我ら」の章句がある。
内容
① 教会の発展
② 終末には遠い「教会の時」の生き方を教える。
③ ローマ政府に「危険でない宗教」であることを示す。
執筆は90年代の異邦人信徒。救済史・従属的キリスト論が特色(贖罪論はない)。エルサレム中心主義。聖霊の働きが強調される。ぜひ、一度通読を!!
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