先駆者(2008 礼拝説教・ルカ)

2008.12.16、明治学院教会(136)待降節 ②

(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)

ルカ 7:27-35

1.待降節の聖書テキストの一つにはバプテスマのヨハネのことが入っています。

 ヨハネはヨルダン川流域の荒れ野で活動した預言者です。堕落し切った神殿宗教を改革する洗礼運動を背景に登場してきました。

 一般に「洗礼運動」は祭儀的な意味での汚れを浄めるため繰り返し行われた沐浴でありましたが、ヨハネの洗礼運動はそれとは全く違って、世の乱れに対して神の審判が近いことを告げ、審きを免れるためには罪の悔い改めを要求し、その徴(しるし)としての洗礼を一回限りのものとする実存と内面化を伴った運動でした。

”斧は既に木の根本に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる”(マタイによる福音書 3:10、新共同訳)

”実は、彼は現れるはずのエリヤである”(マタイ 11:14)

 と言われました。イエスはこのヨハネから洗礼を受けたのです(マルコ 1:9)。

 ヨハネは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの違法な結婚を告発したため、投獄・処刑されました(この話は、オスカー•ワイルドが戯曲『サロメ』で描いています)。

 初代教会は、ヨハネをイエスの先駆者として位置づけました。

2.「今の時代の人たち(ルカ 7:31)」は「ファリサイ派の人々や律法の専門家たち(ルカ 7:30)」を意味しています。

 この人たちは、イエスにもヨハネにも、耳を傾けませんでした。

 悔い改めの預言活動に対して「笛を吹いた時に踊ってくれない(ルカ 7:32)」「葬式の歌に泣かない(ルカ 7:32)」子どもにたとえ、その冷ややかさを指摘し、ヨハネの厳しい禁欲を非難しました。

 イエスが徴税人や罪人と一緒に食事をし、神の国の祝宴を示すと、「大食漢だ、大酒飲みだ(ルカ 7:32)」と言ったとあります。

 しかし、「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される(ルカ 7:35)」とあります。これは「神の御心(ルカ 7:30)」、神の救いの計画です。

 22-23節にあるように「虐げられた人間が回復している事実」を意味しています。確かに、ヨハネとイエスは違います。ヨハネは、荒野・断食・禁欲・求道を、イエスは街・宴会・自由・信仰・癒しを象徴します。

 預言者や先駆者の厳しさがヨハネにはあり、イエスには救いによる自由や喜びがあります。

 しかし、それはコインの裏と表のように、離れ難く結びついています。神の前に一人立つ厳しさがあって、共に生き、食する喜びがあります。

「今の時代」に対してはこの二面の語りかけが必要なのです。

 ヨハネはその一面を示します。ヨハネの先駆によって、イエスの来臨が鮮やかになります。

3.笑いと鋭い批評精神で現代の非人間化に向き合っているアメリカの作家・カート•ボネガットさんは、作家・井上ひさしさんとの対談の中で、「坑道内カナリア理論」を述べました。

 石炭を掘る炭鉱では漏れたガスを検出するために、籠にいれたカナリアが持ち込まれます。このカナリアのように、社会の危険に警鐘をならすのが芸術家、作家だというのです。

 井上さんは「ボネガットさんにはもっともっといいカナリアになって欲しいし、僕なんかアジアの、そして日本のカナリアになりたい。そしてカナリア・リーグを作りたい」と言っています。

 イエスが来られる前に、たくさんのカナリアがいたに違いありません。先駆者であったヨハネもその一人でした。

 私たちも、この人間を行き(息)詰まらせる時代の中に生きて、カナリアのごとき存在として、待降節を過ごし、イエスに従う証を立ててゆきたい。

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