小磯良平の”さし絵聖書”と私(2008 小磯良平)

2008.11.29 執筆、掲載誌不明

(「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」聖書の集い講師、
明治学院教会牧師、75歳)

 このたび『聖書 新共同訳 小磯良平聖画入り』が7年ぶりに千部限定で日本聖書協会から復刊された。

 本誌読者は小磯についてはご存じであろう。しかし、没後20年になるから若い方には知られていないかもしれない。

 広辞苑をひくと「洋画家。神戸市生まれ。東京美術学校卒。新制作派協会結成。穏和な人物画を描く。作『斉唱』など。文化勲章。(1903-1988)」と素描されている。

 小磯の生家・岸上家も養子先・小磯家も旧三田藩の家臣で、ともに日本組合神戸教会(現日本基督教団神戸教会)の会員であった。小磯は幼少時通った日曜学校の思い出を懐かしく心に抱いていた。1933年(昭和8)30歳で受洗。

 作品は清楚で典雅な女性像が多く、また多くの群像を描いている。西洋古典主義の定着を使命として東京芸大教授として教育にも携わった。その間、新聞小説の挿絵は石川達三の『人間の壁』などを含めて30年余り約四千点におよぶ。

 その小磯が1968年、65歳の頃、日本聖書協会からの要請で『口語聖書』の挿絵を描くことを引き受けた。70ヶ所位を同協会側が示し、そこから「面白い構図になりそうなところ」32ヶ所は小磯が選んだという。交渉は鈴木二郎(にろう)が、事務折衝は沢田郁子が当たった。

 写実の画家と自らも語っている小磯は、聖書を読んで想像してさし絵を描くことには、思った以上に難渋したようであった。後に長谷川智恵子とのインタビューで「あまり熱心な信者じゃなかったから聖書は拾い読み程度でした。この仕事をすることになって、はじめて聖書を熟読しましたが、結構面白かったですよ」「半年ぐらい構想を練って、描くのに半年」と述べている(『繪』200号)。このときのことを友人・田中忠雄に「今度は勉強になったよ」と語ったという。

『口語聖書』の挿絵完成(旧約15点、新約17点)と『口語聖書聖画集』の出版が1971年、68歳だから、約2年余かけて完成したことになる。原画は1980年に笠間日動美術館に寄贈され保存されている。最初に出版された口語の『聖書 − 聖画入り』は選ばれたテキストの該当箇所に絵が入っていて、名実ともにさし絵聖書であった。しかし、『聖書 − 新共同訳 − 聖画入り』(1991)は冒頭に絵32枚がまとめられている。今回の復刊も同じくである。恐らく費用の点で差し込みは不可であったのであろう。色彩には神経が使われたであろうが、口語訳のものが断然よい。所蔵されている方は大切にされるとよい。

 神戸市立小磯記念美術館では2008年4月から5月に「小磯良平聖書のさしえ展」を開催した。その後、同展は各地でも開催されていると聞く。その折この展覧会の『図録』が出版された。32葉の絵と共に制作に使われた下図43枚が初めて展示された。

 制作の過程を小磯はこう述べている。「トレーシング・ペーパーを使って、まず描いて、その上にまた、その紙をおいて悪いところを修正します。つまり、スリガラスにランプのついたのを使ってトレースしていったのです。最後に竹のペンに墨汁で描き、乾いてから水彩をつけました」(前掲)。それをみると「アブラハム、イサクをささげる」場面など天使の位置が全く変わっている。完成作品は神の介入の瞬間を考慮に入れて構図を決めたのであろう。この図録には同館学芸員・辻智美さんの「小磯良平と聖書の挿絵」の研究論文が収録されている。小磯の画業と生涯の全体を押さえ、美術史を踏まえて「聖書の挿絵」を論じた、初めての論文として高く評価されるべきものであろう。

 さて、私にはこの展覧会に忘れ難い思い出がある。西宮のK教会から「展覧会の観賞会を計画したので現地で解説をし、その後、小磯良平と聖書の挿絵をめぐって講演をするように」とのことであった。

 現地では美術館側が他の入館者の迷惑にならないように急遽「解説員」の腕章を貸してくれるという配慮があったりして、日頃の挿絵への思いなどを述べさせて戴いた。そのことがきっかけになって、本格的に「挿絵」への論考を深めることにした。幸い、横浜の湘南とつかYMCAが、月二回「やさしく学ぶ聖書のつどい」の場を提供してくださり、そこで「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」というテーマで集会を持っている。

 一応自分の心構えとしては、① 現代聖書学の文脈で小磯の選んだ聖書テキストを再生させる。② 小磯の絵の表現がそのテキストのメッセージと如何に触れ合っているかを、構造・人物配置・背景などを通して読み解く。③ そのテキストを現代の文化・社会・政治・経済・宗教との関連を考えて洞察を深める、という狙いである。現在11回を終えた。やってみて、気が付いたことであるが、さりげない構図、人物の位置、表情などを読み解くと、実にその深層で触れ合うものが多いということである。

error: Content is protected !!