「共に苦しむ父の譬え」のお話(2007 断片)

2007.10.10 (明治学院教会牧師、健作さん74歳)

「福音書の中のイエスの譬え話」第四回 10月24日
湘南とつかYMCA「聖書の集い」

ルカ福音書 15章11節−32節

「また、イエスは言われた。“ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』”……(彼は)放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。……『わたしは飢えて死にそうだ・・罪を犯しました……息子と呼ばれる資格はありません。』。……ところがまだ遠く離れているのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した。……」

 この譬えは、余りにも有名です。オランダの画家レンブラントはこの放蕩息子が父に迎えられた抱擁の瞬間を描きました。普通「放蕩息子」の譬として知られています。でもこの話は悪者が回心して、神の忠実な僕になったという美談なのでしょうか。そうではありません。イエスの意図は何であったかを探り求めたいと思います。ここにも「神的なもの」が人間的・此岸的・地上的なものによって示された譬があります。

(サイト記)テキスト全体が見つかり次第、整えます。