ヤコブの手紙 3:1-12(2007 礼拝説教・ヤコブ)

(説教タイトル不明)

2007.5.6、明治学院教会(73)、復活節 ⑤

(牧会49年、単立明治学院教会牧師 2年目、健作さん73歳)

ヤコブの手紙 3:1-12

1.「舌は禍の根」「舌の根も乾かぬうちに」の諺のように「舌」の問題は古い。

「自分は信仰深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です」(ヤコブ 1:26)とある。

2.ヤコブはまず「教師」を戒める(ヤコブ 3:1)。

「わたしたち教師が……」(3:1以下)と筆者は自戒を込めて語る。

 当然、マタイ福音書の23:8節〈「先生」と呼ばれてはならない。〉のイエスの戒めが背後にある。

 イエスは当時のファリサイ派の振る舞いを批判した。

 ヤコブにも以下の言葉が教師像の根底にある。

”あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。”(マルコによる福音書 10:43、新共同訳)

 教師は「仕える」関係の創造的役目を持つ。

 マルコ12:38-40節のイエスの言葉「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(マルコ 12:40)を再確認しながら、次のように言う。

”わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになる”(ヤコブの手紙 3:1、新共同訳)

3.「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです」(ヤコブ 3:2)の「皆」は、自分の問題だということ。

 それゆえに全共同体のこと。

 舌の働きを「舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています」(ヤコブ 3:8)と断じ、「舌」の制御を、馬や船、火や獣・生き物を例に説く。

「制御 ”カリナゴーゲオー”(ヤコブ 3:8)」は手綱、くつわ(カリノス)に導く(アゴー)を合わせた言葉。

「舌を制御できる人は一人もいません」(ヤコブ 3:8)は、パウロの「正しい者はいない」(ローマ 3:10-11)を連想させる。

4.ヤコブの手紙の著者の狙いは、パウロの「信仰義認」を教条的に理解した人への批判。

「福音」を主体的な問題にしないまま、教えそのものを一纏めにして、権威的に語った人たちが想像される。自分を素通りにしていることに「制御」を。

5.「制御」はもともと「工学」用語。

「自動制御・セルフコントロール(エアコンで説明される)」は外からの条件(他者)から、コントロールが入力される。

6.「賛美と呪い」(10節)は「礼拝」と「交わりの生活」の乖離の無自覚をいう。

「私の兄弟たち」(10節)は、信頼の呼びかけを意味する。

「舌」の悪は人間の現実。しかし、舌を制御する努力を後押しする神の恵みへの信頼を指示する。

7.「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(ヤコブ 4:8)はヤコブらしい言葉。

 聖書の福音は「全自動式」で任せきりではなく、お風呂屋さんの浴室のドアのように「半自動式」である。

「神に近づきなさい」(命令文。人格への信頼)に続いて「神は近づいてくださいます」(直接法)が述べられる。

8.永六輔『親と子』(岩波新書 2000)の「父親にさせていただいたのだ」「子の恩というものがあります」は優れて「制御=コントロール」が効いた言葉。

9.人は、イエスによる福音により、人間関係を恵みとして保つセルフコントロールの力を与えられている。


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