2005.12.4 執筆、
ワープロ原稿・掲載誌不明
(単立明治学院教会牧師、健作さん72歳)
「新自由主義」の暴風が吹き荒れている。
富裕層と貧困層の格差は激しく、勝ち組と負け組が鮮明である。その暴風の中で「小泉圧勝」が舞い上がった。舞台装置は流行語となった『小泉劇場』。
「改革」という言葉で思考停止を強いるマインドコントロールが演じられ「国民」は操られた。マスメディアの荷担は許せない。
熱狂主義とも言える渦巻きが思考停止を加速した。
顧みて、我がキリスト教界はどうか。果たして「思考」があるのか。
「信条・神学」というキャッチフレーズで思考停止をしていないか。
「一緒に投げる・神学する」という動詞の営みが忘れられている。
そういえば「憐れむ」(スプランクニゾマイ)は福音書にみられるが、後に続く書簡ではすべて名詞形「憐れみ」が用いられている。
「行為・行動」が「思考」を生む。
「憲法」は守るものではない。実現するものだ。
日本の瀬戸際に自ら『思考停止劇場』から脱出して「よく生き、よく死ぬため」に思考をしてゆきたい。