「岩井要」伊藤義清(2)(2004 引用)

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 健作・溢子夫妻には一女(森)容子。溢子は、宮崎清水町出身でいま、鎌倉雪ノ下教会の信徒、小林幸治・綾の次女。宮崎清水町教会(牧師中山勲)はヴォーリズ建築設計の南国に映える瀟洒な会堂。去る7月NCC(日本キリスト教協議会)派遣の日本語教師清水新二郎の派遣式で初めて訪れた。霊力あふれる温かい群れだった。

 小林夫妻には三男四女。長男は前東京YMCA総主事の小林道彦。次男は埼玉和光教会役員の小林正樹、その長男に新教出版社「福音と世界」編集長の小林望。

 長女祐子の夫は同志社大学名誉教授の住谷磬(けい)。兄に立教大学名誉教授の住谷一彦。父は同志社総長だった住谷悦治。その叔父に甘楽や伊勢崎の牧師でもあった住谷天来。

 三女は(石川)寛子。東北大物理の教授だった石川義和は、岩井要や彫刻家の掛井五郎、中国文学の伊藤虎丸ら美竹「悪童会」の仲間だが、弟はJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の石川信克。

 要、健作につづく勇児は、愛知教育大学心理学教授。岡崎教会員。善太は熊本大で自動制御理論を講じる熊本草葉町教会役員。恵子の夫石井一成は名古屋大の生物物理学の教授で名古屋教会員と限りなく広がる。

 健作は「こうした人脈は公にされると『業界エリート』を印象づけるようで複雑だ」と言う。然り。この鋭い指摘は筆を鈍らせるに十分だが「人脈にもたれず、宣教の連帯に生かせる途があるのでは」とぼくは答えた。

 健作は震災の後、神戸教会の聖餐式の前に、次のような説明を述べる。「日本基督教団では聖餐式は洗礼を受けた者があずかるという約束があります。これは聖餐が信仰の上に立って守られるという大切なことです。けれども私たちは地震で地上のいのちがいつも危機の中にあることを共通の体験としてもちました。被災の只中にある教会の証としてたとえ洗礼と聖餐の順序が入れ替わったとしても、今日、恵みのしるしとしての聖餐にあずかりたい方はどなたでも聖餐におあずかり下さい」と。

 ちなみに震災後の神戸教会宣教方針の標語は「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか」(ヨブ記 38:4)である。


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