讃美歌を歌ってみませんか(2003 讃美歌)

2003.4.29 掲載誌不明(川和教会代務者、健作さん69歳)

共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう」(詩34:4)

 讃美歌を聴いたこと、また歌ったことがおありですか。阪神淡路大震災の時のことです。1995年1月21日、関西学院大学の聖歌隊に電話がありました。地震の後すぐです。あるボランティア・グループから、避難所で讃美歌を歌って欲しいというのです。炊き出しや、撤去作業で走り回っている時で、歌なんか歌っている場合じゃあないと思ったそうです。しかし、とにかく段上西小学校に行きました。沢山の人が無表情で身を横たえていました。40分位讃美歌や童謡を歌ったそうです。すると人々の顔に笑顔がよみがえってきました。驚いたのは聖歌隊のメンバーでした。音楽あるいは讃美歌が秘めている癒しの力を逆に知らされたと言うのです。私にも、そんな経験があります。ある夜、年配の女性の方から電話を戴きました。自分は今大変苦しいことに直面している、大き声で讃美歌を歌いたいが、自分は市営住宅に住んでいて、讃美歌を大きな声で思いきり歌うことができない。お宅の教会堂でわずかな時間でよいから思いきり讃美歌を歌わせていただけないか。自分でオルガンを弾いて思いきり歌われました。しばらくして平穏な顔で帰って行かれました。讃美歌の力は凄いな、と思いました。

 今、教会では「讃美歌21」という歌集を使っています。歌集は大きく二つの部分に別れています。前半は礼拝の歌、後半は生活の歌です。礼拝には、神から人への方向(招詞、聖書朗読、説教、祝祷など)と、人から神への方向(感謝、賛美、告白、祈願、懺悔、執り成し)とが交互に行き来しています。その土台の上に人の心の内面を励ます歌や人と人との交わりや共感の歌が添えられています。

 教会に集まる人の繋がりを、昔の伝道者パウロは「教会はキリストの体」という表現をしました。強い者も弱い者も、個性や役目の異なる者たちが、なお、キリストの恵みによって、互いに一つ体の部分として繋がっているという意味です。その繋がりを、理屈ではなくて、実感として作り出しているのが讃美歌です。

 讃美歌は、人生に肯定的です。神をほめたたえる事は、神による解決を信じるから、苦難が介在しても、その苦難の中に意味を見出して捉え返す力が与えられます。耐える事、望む事、あきらめない事、祈る事を含めて、物事を肯定的に考える力が歌を歌うことによって与えられます。

 アメリカの黒人解放者のマーティン・ルーサー・キング牧師の説教に「真夜中に戸をたたく」という有名な説教があります。それは、過酷な差別社会で希望を失った黒人たちが自暴自棄になり自殺をしかねない状況で語られた説教です。先祖たちの、あの黒人霊歌(スピリチュアル)に耳を傾けようといっています。

「私は、我々の先祖が飛び下りなかったことを喜んでいる。それは全くの真夜中であった。彼らは来る日も来る日も、煮えくり返るような暑さと、監督の生皮の鞭と、綿花畑の長い畝のほかには、何も待ち望むものがなかった。しかし、彼らはその真夜中の経験を生き抜いて、アメリカのためにもっとも美しい音楽を残したのである。どうかその音楽を聞いていただきたい。私は彼らが飛び下りなかったことを喜ぶ。もし、彼らが飛び下りたとしたら、私は誰かが、『ゆっくり走れ、私を故郷に迎える凱旋車よ』(Swing low, sweet chariot, coming for to carry me home)と歌うのを、聞くことができなかったであろう。飛び下りてはいけない。生き続けて歌を作ろう。朝は必ずやってくるのだ。」

 鶴見俊輔さんと永六輔さんとが「歌を通して語る日本人のこころ」という対談をやっています。(『日本人のこころ』岩波書店 1997)その中で、永さんが鶴見さんに「小学唱歌は何がお好きですか」と聞くんですね。

 鶴見さん「たとえば、思想としては大嫌いなんですが、敵対的なんだけど、『仰げば尊し』なんて好きなんですよ」「あの思想はきらいなんだ。にもかかわらずそれが懐かしいんだ。困ったもんですよ。つまりね、『今こそ別れめ、いざさらば』、あそこが好きなんだ。困ったものなんだ。アハハハ……」といっています。

 歌は大切な文化ですが、時としては戦争の遂行にも使われます。日本でも教会がかつて戦争協力をさせられた時、『戦時讃美歌』という軍歌まがいのものが作られたそうです。

 鶴見さんは『君が代』も好きだといっています。ところが『君が代』強制に反対する運動を一生懸命にやっているのです。「音楽というものはそういうもんなんですよ」といっています。一つの立場以上のものが込められているというのが音楽というものの思想性なのだと、彼はいっています。

 そういう意味では多くの人に愛されている讃美歌は、それが皆で歌われるという所に思想性があります。多くに人に讃美歌がなじまれることを願うものです。そうして、教会で讃美歌が歌われることは、教会が多くの人との繋がりに開かれている所であるということです。ぜひお出かけください。一緒に歌いましょう。

川和教会 1