「合同のとらえなおし」の現在(2002 宣教学 ⑱)

2002.5.24、西宮公同教会、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(18)

(日本基督教団教師、神戸教会牧師退任直後、68歳)

1.兵庫教区の「合同のとらえなおし」問題への取り組みの評価。 

第56回教区総会の学び
・沖縄の信徒から学ぶ
『合同問題を問う』外間永二さん(平川伝道所信徒)
『合同キリスト教会になるための歩みを沖縄と共に』徳森セツ子さん(うるま伝道所信徒)
・議案、建議案、『合同問題資料集 教区交流委員会 2002年5月版』

2.二つの「現在」における「合同のとらえなおし」

① 教団の現在
② 国会に「有事立法」が出されている現在

3.1992年、第27回教団総会(東京教区の教団総会参加以後)「合同のとらえなおし」に関する件への扱いの変化とその背景

 日本基督教団の「宣教」理解の歴史と「合同のとらえなおし」
 1941年の合同は「くすしき摂理」か「政府の要請」か。

 神学的現実・信仰告白的現実と歴史的認識の関係を今改めて。
 現実からではない主張を「教団政治の問題」にすり替える論法。

4.閉ざされた論議。

「有事法」の国会の手法との類似。
「開かれた論議」を。世論を作る運動への「反省・批判と展望を」
「日本の今」-「有事立法」の国会審議。
「戦争」体制への法整備が準備されている「今」。
 沖縄は、占領時はもとより、返還後も「地位協定」があって、すでにずっと「有事」体制。
「有事立法」で本土よりさらに戦時臨戦体制は強化される。
「有事立法」は「日本国憲法の平和・人権理念」を「法」でなし崩しにするもの。
「平和・人権」は、人の信義に基づいて、多様な考えを認め合う思考。回路が開かれてる。

 アメリカの軍事力・経済力による一極グロ-バリゼーションに追従する日本の「安保体制強化・有事法」は、敵を仮想し内を固める閉ざされた思考です。これは一つの類比ですが、教会「信仰告白」(文)で一致せよというのは、閉ざされた思考です。教団は戦後「宣教」という概念で、社会や人間の歴史の中で起こる様々な事柄の悩みや苦難を人々と共に負う事を「神の啓示」の歴史への関わりとしてのイエスの出来事の現実化としてきました。「法(信仰告白文をその機能で作用させるなら)」で締めくくる思考ではなく「信頼(宣教)」でつながりを作り出す開かれた思考が必要です。

5.歴史への関わりの信仰のありようの多様性の問題。

 第二次大戦下の「戦争協力の教団の罪責」が共通理解にならない。

 教団の教憲・教規改定・「教団信仰告白」制定は教会的基盤の充足か。
 九州教区 第49回教区総会(2001年11月14-16日)沖縄を切り捨てた、教会の過ちとみる。
(サイト記)上記の「49」と日時記述が正確かチェックできていません。

6.「新日本建設キリスト運動」から「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」までの教団の二つのスタンス。

7.1969年の「万博におけるキリスト教館出展の問題」と「問題提起」。

8.「批判」か「異端的」(「教団新報」3926)か。
「多様性の豊かさ」か「相対化による崩壊」か。
「『信仰告白』による基本的一致」が教会的事柄の前提か、聖書の歴史性をも含めて現代への信仰の多様性を許容するか。
「裂け目への癒し」(開かれた思考)。「教会政治の力」(閉ざされた思考)

 桑原論文の提起するもの
「現代に『キリスト教を考える ⑨』-「2・11」、老いの繰り言」
「歴史における支配構造の分析を通して考えていかなければならない」(『教会と聖書』No.21、2002年5月16日、p.3 )

9.「合同のとらえなおし」は、教会の在り方を、歴史の状況で考えようという信仰、つまり教団の宣教の在り方の反省に立った考え方。
「信仰の質を問う」(平良修)。
 福音主義の逆鱗。

 教団は「信仰の質を問うこと」ではなく、すでに告白された『教団信仰告白』で再結集することが「教団」の再生なのだ、という主張が根底にあるからです。この場合「歴史」は「人となり給うたイエス・キリストの一回的出来事」が歴史理解の根幹に据えられます。「質を問う」とはその「歴史理解」でよいのか、という問いです。

「歴史」を「啓示」の一回性に収斂すると、地上の教会は「教会を信じる」ことにおいて確かな存在となるので、天皇制絶対の国家体制との関わり、差別の実態、戦争の悲惨・虐殺も教会の本質的問題にならなくなってしまうのです。

 この辺りの教団の実情は教会史家・土肥昭夫氏の論文「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同とらえなおし問題について」(「福音と世界」2000年10月号)を参照。

 また川端純四郎氏は九州教区の講演「『合同のとらえなおし』と日本基督教団の歩み」で、日本のプロテスタント教会が国家から自由な教会の伝統を始めは持っていながら、結局は、国家に屈伏させられ「内心」と実際の「対応」とで二元的にならざるを得なかった歩みをよく捉えています。国家に屈伏してしまった「教団」成立にまつわる体質が、戦後の沖縄キリスト教団との関わりにおいても出てしまい、結局、1969年の「合同」において「合同」といわざるを得なかったものの実態として、「復帰」「吸収合併」を行ってしまったこと、その体質を本土・沖縄双方において問う作業が「とらえなおし」だと指摘しています。「合同」を「信仰告白」的事実と観念づけて「とらえなおし」の必要なし、後は本土からの支援の「実質化」が大切だという理解では、解決しないと私は思っています。

10.「実質化」と「とらえなおし」の強調点の置き方。

 福音は沖縄で説かれても、本土で説かれても変わりはないのか。
「阿波根昌甲鴻さんから問われていること」(『Kyomei [ 共鳴・響命]』No.6、2002年4月、編集発行、村椿嘉信)
「教会もまた悪魔の召使になる」。

11.一人一人が考えること。「福音」とは何か。「福音」の歴史への接点。
 一回的か、繰り返すのか。

12.「宗教」や「信仰」について語る時には、「言葉」「概念」「立場」「信念」「経験」にかなりの留保をつけつつ。
「未定形」の教会。開かれた回路をもつ「教会」の在り方。

13.「合同のとらえなおし」関連議案は。教団の宣教的課題を、教団の制度に反映させる作業。ここが決戦ではない。

「合同のとらえなおし」は、宣教的働きを制度まで反映させる作業です。気の長い営みですが、希望と夢を持って、何時の日にか、沖縄が「基地の島」ではなく、人や文化の「交流の島」になる日まで、続けるべき働きだと思います。それはまた「教団」という教会が、信仰理解や宣教の働きで多様なものを包み込んでいく教会になっていく事でもあります。

14.「教憲前文の加筆修正(26-34 可決) 特設委員会の第5案は常議委会止まり。
 常議委は各教区総会提出は否決-(『特設委員会98資料』-以下「資」、p.44-45)。

15.信仰告白(26-33 可決)-その後1993までに資料集などが出ている(98、資、p43f.)。

16.「沿革の加筆修正(25-34 可決)-その後、沖縄側の沿革がまとめられ、両教団沿革の併記による特設委員会案が出されるに至っている。(98、資、p.46-47)。

17.「創立記念日」(23-31、検討が可決)。

18.「教団名称の変更(23-31、25-35、[「日本キリスト教団」案、手続き不備で取下げ]、27-33、30-39、31-  {継続}、32-47{継続}、[ 沖縄教区より「日本合同キリスト教会」案提出]、33の行方が、教団政治の現在」。

19.現在このことを検討する「特設委員会」の継続設置はなされていない。教団の正式機関が「とらえなおし」の推進を断念している状態なので、いわゆる在野(推進の姿勢を持っている諸教区の連合、NGO)で協議推進を進める必要がある。

20.有事3法案(4月16日、閣議決定) 。憲法体制か、安保体制か。

21.「戦争体制」を巡って、人間の関わりを見る。

21-1、しかけ人。戦争を遂行する人々。

21-2、まきこまれる人。戦争に協力させられる人々。

21-3、被害者。傷つき、殺される側の人。悲しみの現実。

21-4、悲しみに心を動かす人。「殺すな」と叫ぶ人。自分の気持ちを表明する営み。人々。私。「有事法」と「われわれ」。

22.「有事立法」と沖縄(実質施行済み、本土の沖縄化)。

22-1、「有事のあいまいさ」は、先制攻撃・武力行使への筋道。

22-2.日本国憲法の「国民の自由と権利」への制限
(「武力攻撃事態法案」第3条(4)の戦争協力)。

22-3.「戦争」と「地方自治体」
(「首相{国}が自治体を支配する権限」-土地収容、家屋、その他の財産」)

23.歴史の危険にさらされている「福音」の逆説性。

 ルカ15:4の「99匹を野原(「荒野」の訳がよい。危険な場所)に残して」の意味。
 マタイ18:12の「山(聖域・安全な場所)に残して」との比較から学ぶもの。
「危険な沖縄」への参与が「合同のとらえなおし」の現在的意味。

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