2000.7.26、キリスト教保育連盟 表彰式、発表誌不明
(健作さん66歳、神戸教会牧師)
このような大勢の方達の前で、また高い所で表彰など受けて、大変面映ゆい思いがいたします。私は幼児教育が専門の人間ではありません。若い時、日本基督教団の牧師を志して、たまたま赴任をして、務めを果たして来た三つの教会(呉山手、岩国、神戸)に、それぞれ宗教法人の幼稚園があって、それが「教会」そのものの働きであり、「教会」の宣教と牧会の守備範囲だと受け取って来ました。いわば守りを第一義として、アマチュアの気持ちで、むしろ「自分の十字架」として努めてきたら、知らない内に今日まで来てしまったというのが実の所の感じです。
5分間で「生かされて、用いられて」という題で証しを、というのが石橋委員長からの依頼でした。勿論、沢山のことが思い起こされます。
Y君とK教諭の思い出をお話しして証しに代えます。
3歳で入園してきたY君は、第一期で退園しました。とても日常の保育に付いて行けない発達の遅れでした。彼が5歳になった8月の夏休みに、再入園させて欲しい、と母親が連れてきました。研修で留守の教師達には相談できないまま、母親の切羽詰まった勢いに押されて、入園を受け入れました。入園の希望は、ありとあらゆる病院・相談所を引きずり回されたあげく、最後に、慶応大学の平井信義先生のアドヴァイスだったそうです。
そのころ「多動性の自閉児」などという言葉は、一般的にも、保育界にまだありませんでした。9月が来て教師達に相談をしたら「できない。困る」ということです。私が一番頼りにしていたK教諭は「園長先生がお与かりになったのだから、先生が与かってください」とにべもない冷たい返事です。この教諭、K先生は、彼女がいささか参っていた他の幼稚園から相当強引に引き抜きをした、もっとも気の合った、力量もある教師です。さすがに参りました。
それから、私とY君との想像を超える日々の格闘が始まりました。生活と思考の軸が変わってしまいました。あっという間に屋根には登る、印刷のインクは部屋中に塗りたくる、トイレをあのふわふわしたペーパーで詰めてしまう、他の子供に水や砂をぶっ掛ける、一か月ほどして、見るに見兼ねたK教諭が「私やってみます」といってくれました。
彼女のクラスに「Y君とそのお友達」ということで改めて私も入園することになりました。そのクラスでは、新入園の「Y君と健ちゃん」を迎えて新しい保育が始まりました。
毎日、目茶苦茶でした。そこには、文句をいう子供もあり、お母さんが待ち受けていました。しかし、また毎日なにが飛び出すか分からない、カリキュラムレス・カリキュラムを楽しむ感動の子供の世界があり、教師があり、そこで私は「子供の国」の市民権を獲得しました。それからのことはご想像にまかせます。
卒園式の日、名前をよばれるととにもかくにも「ハイ!」と返事をして、前にでてくるY君の姿に、会場はどよめきました。もう30年も前のことです。
今日の表彰は、Y君とK教諭と一緒に受けたいと思います。これが私の、証しです。
どうもありがとうございました。
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すずかけの葉っぱ (2009)