「岩井健作」の宣教学(1)「福音と世界」バルトの論文から宣教学の方法(2000 宣教学)

2000.4.28(神戸教会牧師23年目、牧会43年目、健作さん66歳)

(サイト記)

「宣教学」のテキストは、健作さんからお預かりした49点のデータファイルとして手元にあります。すでに発表されたテキスト、未発表のテキスト、断片として集会や個人に配布されてきたテキストが混在しています。本サイトでは出来るだけオリジナルに忠実に(編集は少なめに)掲載してみたいと思います。一方で、本文内で引用されている文章が正確かどうかをチェック出来る環境にないため(気がかりな点がありますが、チェックできる日を待っていたらサイト掲載が出来ません)、不本意ではありますが、引用に不備がある可能性については、ご留意ください。健作さんの思索とテキストを公にするという趣旨を優先したものとご理解いただければ幸いです(もちろん誤りがあった場合、判明した場合は、速やかに修正します)。

 宣教学とは何か。その方法がどのようなものなのか、私は知らない。知らない者が、話をするとは、はなはだ無責任なことなのだが、幸い固有名詞の形容句をつけて、その無責任さを許容戴いているので、私の思いのままを少し述べさせて戴きたいと思う。

 さて、切り口を何にするか迷いに迷った。たまたま『福音と世界』(2000年5月号)を読んで、「20世紀神学の総決算5 カ-ル・バルトの遺産-『連帯的人間性』の神学とその神学的実存 天野有」が述べるバルトの連帯的人間性に関心を持ったので、それを手掛かりに、私の考えを巡らせてみたい。

 この論文は、まず

「バルトの神学は『状況関連的神学(コンテキスチュアル)』であって、(例えば、ティリッヒに代表されるような[ブルトマンは当然])『状況相関的神学(コレラティヴ)』とは明確に区別される。後者においては聖書は人間の側の(時代史的)状況からの問いに対し『答えを与えるにすぎない』のに対して、前者においては『聖書はそれ自身の答えを携えつつ……何よりもまずわれわれに正しい問いを与えようとする』のである」

 と述べます。そして

「『イエス・キリストの人間性の鏡において、神の神格性[!]に包まれた神の人間性が啓示される。イエス・キリストが行為するまさにそのように……神はご自身を人間のために賭し給う』。かくして『神の人間性』が人間の人間性-連帯的人間性-を内包し基礎づける」「近代の[隣人なき人間論]に明確に否を語り、『人間のための人間性』=『連帯的人間性』に決断することはキリスト論的人間論と倫理学によってのみ可能だ」。

 バルトによれば、連帯的人間性はキリスト論に基礎付けられる以外にはない、ことになる。ここから「宣教論」を展開するとすれば、少し乱暴な言い方ではあるが、キリスト論から出てキリスト論に帰る構造の中でのみ可能である、ことにならないか。

 私は、キリスト教で「宣教」といえば、平たく言って「共に生きること」だと考えている。それが「学」というような論理にはあまりなじむものではないとも思っている。しかし、「宣教学」のお話をしなければならないところに追い詰められて、二つの緊張する命題をバルトの「連帯的人間性」から与えられた。これは私の身の回りのキリスト教、というよりも私がたどってきたキリスト教の中にと言った方がよいかもしれないが、影響を受けている思いでもあるので、そんなことからお話をしてみたい。

 一つは、“共に生きること”を私たちの歴史の時空の広がりの中に、見出し得るものとして考える立場(いうてみれば、孟子の性善説のように)。

 もう一つは、“共に生きること”を私たちの歴史の時空には、見出し得ないものとして考える立場(荀子の性悪説のように)。

 もちろん両者共々に保留がつく。実は「保留」のつけ方の差異をたどることに、「宣教学」の展開があるように思える。

 さて、前者から導きだされる「宣教学」を一応「経験的知恵の批判的吟味、その状況関連的再生への戦略」と表現したとする。

 もう一つは「神学的現実の応答的受容、その出来事への状況関連的参与」と表現したとしよう。

 前者は、人間が共に生きること、つまり連帯的人間性は、我々の経験知(“正統的神学”の枠組みでいえば“創造の秩序”に属している)に既に込められている現実に、なお批判的に(何が批判されねばならないかという具体的な局面で、「聖書」「福音」「神」「イエス」が状況関連的に、他者性をもって関わる。批判的であることを個別課題の内側に持ち込んで「超越、神」との関係性を確保する)吟味、検証をして、“共に生きる”ことの実際の戦略を立てる、このような論理的作業が「宣教学」ではなかろうか、ということである。

 後者は、そもそも人間の孤立化は、人間の罪の様相であり、“共に生きる”こと、すなわち連帯的人間性は、ただ一つの出来事(ここにのみ保留をつける)、「イエス・キリストにおける神」の神学的実存であり、その神学的現実に応答的に服従することにおいてのみ、つまりその出来事に、(どんなに事態が暗くとも、『にもかかわらず』)、状況関連的に参与することに「宣教学」は成り立つ、と言えよう。

 ここで、共に「状況関連的」(コンテキスチュアル)という言葉を使ったが、これは「状況相関的」(コレラティヴ)という言葉との対比で用いている。「宣教」は、たとえ人間学的地平ですべてを言い切ったとしても、そこには逆説的に、その状況と関連する「超越性」(あるいは他者性)との切り結びを想定している。前者のように「経験知」に、その内包を予測するにしろ、後者のように、「参与」を神学的実存に切り結ぶにしろ、「彼岸のこと」(「神の現実」)と「此岸のこと」(「人間の現実」)が、別々に、あらかじめ「相関的」にあるのではなく、歴史の具体的局面において、切り結んでいる。そのことを明確にするために、「宣教」を「状況関連的」な事柄として捉える、このことは、はっきりさせておかねばならない。

「宣教」は、それが、事実として「神の現実」であるにしろ、それを「神学的言語」「キリスト教的言語」「信仰告白的言語」をもって伝達可能なものではない。下手をすれば一つの観念世界に人を巻き込む伝達方法になりかねない。もちろんそこに言語それ自体を超えて、「彼方のこと」を生起させ、「言語的共感」を生み出すことを否定するものではない。しかし、「宣教」が意味する伝達はもっと広義であって、言葉や文字言語を用いるにしても、比喩、類比、譬えなど、さらには、言葉や文字言語を超えた芸術が伝達の方法になる。これらは、その固有の領域がもっている世界の事柄と相関的(コレラティヴ)であって、必ずしも通時的であることを必要としない。しかし、それでもなお、人は時空の中に存在するし、歴史的存在であってみれば、「宣教」の意味する伝達(あるいはコミュニケーション)は歴史の「出来事」として捉えざるを得ない。その限りにおいて、それが歴史の局面を離れてただ「共時的」にあるのではないことを押さえておきたい。

 その意味で、「宣教」は大枠において「状況関連的(コンテキスチュアル)」である。そこを押さえた上で、「状況相関的(コレラティヴ)」である事の緊張関係を持つ。

「状況関連的」か「状況相関的」かは、対立的命題ではない。歴史の具体的局面の文脈(コンテキスト)を、文化を含む経験知に切り結ぶ中で、連帯的人間の事実を温めるのか、ただ一つの神学的現実「イエス・キリスト」に切り結ぶことで連帯的人間の事実を温めるのか、このことの結論を先取りする訳ではない。その緊張関係をどのレベルで考えるかによって、宣教論あるいは宣教学の位相は変わってくる。

“共に生きている”ことをバルトのように神学的人間論・倫理学の決定的意味にゆだねて「上への」志向へと引き込む「参与」に徹底するのか、それとも個別課題に内包され隠されている可能性に向き合い、徒労に等しい批判的吟味に、自明の「神学的、キリスト教的、信仰告白的言語・表象」への批判的吟味を含めつつ、特に聖書の「歴史文脈的」釈義に徹しつつ、今自分の生きる状況で「他者と出会う」戦略を思考する所に、単に神学的倫理学や実践神学とは異なった「宣教学」があるのではないか。

1、経験的知恵から始めるということ。

「宣教学」という言葉を聞いた時、何故かこんな歌を思い起こした。

「トントンとんからりっと、隣組み。格子をあければ顔なじみ。回して頂戴回覧板。教えられたり教えたり」

 次の節の終わりは「助けられたり助けたり」だったように思う。昭和18、9年頃、太平洋戦争の戦況が、日本の敗色へといよいよ傾いている頃だった。道向こうのHさんから回ってきた回覧板を右隣りのTさんへ持って行くのは、丁度十歳前後だった僕や弟の役目だった。東京の郊外、杉並の住宅街は十軒位が一つの班になっていたように思う。親の話などを聞いていると、大体それぞれの家の様子などが分っていた。分けるのに難しい無理な配給などがあっても、班長の采配に分配を任せるなど、ある程度の助け合いがあって地域社会が成り立っていた。牧師の父の所には「特高」が来ていたようだが、そのことが隣り組みでの疎外要因にはなっていなかった。隣り近所の誼が勝っていたのであろう。物資の少ない中でも、物のやり取りがあって、心の潤いはあった。今から考えると、ファシズムは「向こう三軒両隣り」の諺が伝えてきた人間関係の繋りを活かし丸呑みしつつ、あるいは「隣りにアカ!」「隣りにスパイ!」の相互監視にも利用しつつ、国家総動員体制を固めていた。本来「向こう三軒両隣り」「遠くの親戚より近くの他人」などに言い伝えられてきた諺は、人間の繋りを連帯的関係へと向ける知恵の現れであった。孟子の性善説のように体系的思考ではない。しかし、それが、断片的、部分的、日常的であることにおいて、ファシズムという巨大な思考体系の内側に取り込まれていった。ここの所を批判的に検証することにおいてが宣教学の役割ではないか、「岩井健作の」宣教学への一つの臭覚としておきたい。

(覚書1)『「戦争と知識人」を読む』加藤周一・凡人会、青木書店 1999/10/25

 15年戦争時の知識人が取った態度(1)積極的支持。「聖戦」賛美。(2)消極的支持のあらゆる段階。多少の批判を含みながら、戦争に協力した圧倒的多数の人々。(3)戦争批判と反対を貫いたごく少数に人々。(2)の場合、日常の実生活の知恵と戦争批判とが分離してしまっていた。

(覚書2)『となりに脱走兵がいた時代』ジャテック、ある市民運動の記録・関谷滋・坂本良江編 思想の科学社 1998

 反戦という思想体系ではなく、日常的付き合いがベ-スになり、運動が進められた。