強い人が強いのか(2000 礼拝説教・神戸)

2000.3.19、神戸教会 礼拝説教

(健作さん66歳)

ルカ 11:14-23(新共同訳見出し「ベルゼブル論争」)

 テキストは今日の聖書日課。「悪霊(”ダイモーニオン”)」今日の箇所に8回。新約聖書に60回、ルカに22回。ルカには多い。

 用語解説「精神的、肉体的な病気など、人間に災いをもたらす霊。『汚れた霊』と同じ意味」。
 現代人には分かりにくい。「悪霊を追い出す」という表現があるように、「悪霊」は人間にとりつく力として理解されていた。

 その頭は”ベルゼブル”という名の悪霊だと言われていた。ベルゼブルというのは旧約聖書の”バアル”(所有者、主、カナンの宗教の主神)。この地域神として”バアル・ゼブル”が出てくる。この語彙のギリシャ語化が”ベルゼブル”とされている。

 列王記下1章にこの”バアル・ゼブル”がエクロンの神として出てくる。ゼブルは「高く掲げる」「気高きかた」。

 イスラエルの王アハズヤの故事。屋上の欄干から落ちて病気になった。この病気が治るかどうかをエクロンの神バアル・ゼブルに尋ねるために人を遣わす。預言者エリヤはその遣いに出会い、王がイスラエルの神に信頼を寄せないことを非難する。バアルに寄り頼む者は死を招くことが告げられている。

 ここには旧約聖書の信仰理解がある。旧約聖書は”バアル”を偶像としている。

 所有の関係で崇められる神。人間を所有の関係に位置付ける神。物を沢山持っていることが力になる。カナンの都市国家の形成理念。強い者が強い世界を実現する神。

 先日、ある社会福祉団体の研修会に出る機会を与えられた。
 講師は神奈川県知的障害者施設団体連合会オンブズマンの弁護士・川島志保さんという方。

「利用者の権利を考える」施設は、援助が必要な人々に援助を与える所だと考えられているが、そうではない。

1.施設。まとめて援助する方法
1−1.様々な障害をまとめてしまう。
1−2.集団が優先(物言わぬ利用者)
1−3.利用者の都合より援助者(職員)の都合の優先

2.措置制度。自分の意志で入所したわけではない利用者。言われたことだけやって、措置費を国から受領する職員。ここでは上下関係(指導と訓練)。苦情はわがまま。従順で自分を忘れた利用者と、家族の感謝の上に君臨する構造。

3.施設をパラダイスに、の思い込み(限界)。そこで暮らすしかない人に対する気持ち(生涯暮らす場所ではない)。やむを得ない必要悪。

4.施設の実態。虐待。『知的障害者』肉体−体罰−暴行、傷害、他の職員の行為に無関心、自ら手を下さなければよいと『高齢者』抑制。精神・言葉によるいじめ、無視。財産侵害。

5.社会福祉基礎構造改革の意味。措置から契約へ。他人の人生への責任の負い方 ー関わりを持たなくてはいけない、関わりを持ち過ぎてもいけない。

 本当の支援は「一緒に歩くこと」。「助けるだけ」「助けられるだけ」という一方交通は人間を窒息させてしまう。

(サイト記)どこからどこまでが講師の見解なのか、この時の健作さんなりの表現なのか、このテキストからだけでは判断しづらいのですが、現状の問題点に焦点を当てて、弁護士・オンブズマンの視点から語られたのだろうと推察致します。

 一人一人の人生は神のみ手にあることの関わり。

 関わりそのものを神に返す。

青木優氏
「忘れられてはならない最も大切なことは、介護される側の人権、すなわち人間の尊厳の保障ではないだろうか。介護される側の人々が、決して惨めな思いにならず、自分の生活や人生経験を通して、介護する人々の働きを受け入れると共に、その心を逆に育てること。
 そうして介護する側は、その働きを通して、生きることの意味や、喜びを発見させられ受け止めていくことである」

「神の指の働き」(ルカ 11:20、出エジプト記 8:15)魔術師には出来ないこと。アロンの土を”ぶよ”にする奇跡。エジプトのパロの支配からの解放が奇跡そのもの。

 人が上下関係ではなくて、神との関わりで出会う。

「神の国はあなたたちのところにきているのだ」(ルカ 11:20 新共同訳)

「神の国はあなた方の所へきている」。

 これは、強い弱いという関係からの解放。

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