2000年3月6日、神戸教会 礼拝説教
原稿の一部と3月19日週報掲載の説教要旨
(神戸教会牧師 健作さん66歳)
マタイ 21:28-32(新共同訳見出し「『二人の息子』のたとえ」)による説教
「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」(新共同訳 マタイ 21:28-32)
1−1.今日の聖書テキストは、聖書日課として与えられている箇所です。降誕祭(クリスマス)から受難週にかけてイエスの生涯に関する聖書テキストが選ばれていることに依っています。
1−2.「二人の息子」の譬え話は、マタイ21章28節から31節の前半をもって終わっている。
2.31節後半から32節は、譬えの福音書記者による解釈が加えられていると考えられる(むしろ、25節〜27節の洗礼者ヨハネの記事に結び付いている)。譬え話を後半と切り離して考えます。
3.「あなたがたはどう思うか?」の問いかけ。比較的多い言い回し(マタイ17:25、18:22、22:17、22:42、26:66)が5回。応答を求めている。自分の受け止め。
4.「この二人のうち、どちらが父の望みどおりにしたか」(マタイ21:31 新共同訳)父の意志に従ったか、従わなかったか、分かれ道が問われている。
5−1.イエスの譬え話は、祭司長・律法学者・パリサイ人に代表される当時の指導者の態度に対する批判。彼らは固定観念から物事を考える。建て前。生活との乖離に気付いていない。形式では”YES”、現実は”NO”。問題は、その矛盾に悩まない、迷わない人であること。
5−2.息子の一人は、一度は父の求めを拒否する。しかし、後から心を変えてぶどう園に出かける。父の意志を受け入れる。現実から物事を考えるが、現実を越えたものの意志を受け入れて、現実を突き破る。ここが大事。
6.「後で考え直して出かけた」(29節)。心を変える。迷いがある。
7.論文「戦争と知識人」(加藤周一 1959年)
15年戦争の時の知識人のとった態度。三つ。
(1)積極的支持。言論機関で「聖戦」を讃美した人。
(2)消極的支持のあらゆる段階。幾らかの保留、懐疑、多少の批判を含みながら、様々な形で戦争に協力した圧倒的多数の人々。
(3)戦争批判と反対。しばしば協力を強制されながら一貫して自分の意見を持ち堪えた少数の人々。
「戦争が知識人の根本的な性質を明示した」。実生活ー生活上に必要な利益、食べること、身体で感じる感情、感情で捉えられた「日本」。思想は外から持ってくることは出来ない。超越的価値は国家の上からくる。
《加藤論文の中でキリスト教に触れたところ》
東京YMCA(1937年)祈祷「正義の皇軍を護り、支那の為政者の目を開かしめ給え」
聖公会祈祷「信徒の間に、国体観念の明徴、尽忠報国の念の伸長を祈る」
日本基督教団(1942年)「決戦態勢下キリスト教会実践要項」
支那事変や大東亜戦争を聖戦とは信じないことにキリスト教は役立たなかった。しかし矢内原忠雄の理想は国家の上にあった。超越的な真理に繋がっていたからであろう。日本の知識人が国家を越える価値概念も真理契機も持たないために生活の実際上の便宜のために、天皇・民族・国家を一纏めにした「日本」に呑み込まれていった。弾圧・強制・「だまされていた」と言うものではない。加藤周一は永井荷風の『罹災日記』と高見順の『敗戦日記』を比較して論じている。前者にはファシズムへの反対が貫かれている。(原稿はここまで)
(3月16日週報に掲載された説教要旨)
『戦争と知識人』加藤周一(1959年)をある方の勧めで読んだ。第二次大戦下、15年戦争時の知識人がとった戦争への態度を3つに分けている。(1)積極的支持。言論機関で「聖戦」を讃美した人。(2)消極的支持のあらゆる段階。幾らかの保留、懐疑、多少の批判を含みながら、様々な形で戦争に協力した圧倒的多数の人々。(3)戦争批判と反対。しばしば協力を強制されながら一貫して自分の意見を持ち堪えた少数の人々。これは3つの分類というより、戦争が知識人の根本的な性質を明示した、というべきであろうと著者が述べているところに共感した。結局は、知識人が国家を越える価値概念も真理契機も持たないために、実生活上に必要な利益、食べること、身体で感じる感情で捉えられたところで生きたことを示している。そうしてキリスト教について、1937年の東京YMCA「正義の皇軍を護り、支那の為政者の目を開かしめ給え」との祈祷、聖公会の「信徒の間に、国体観念の明徴、尽忠報国の念の伸長を祈る」との祈祷、日本基督教団(1942年)「決戦態勢下キリスト教会実践要項」を挙げ、支那事変や大東亜戦争を聖戦なりと信じないことにキリスト教は役立たなかった、と述べている。しかし矢内原忠雄の理想と行動は、国家の上にあった。超越的な心理に繋がっていたからであろうと第三の類型の人がいたことを評価している。
さて本日の「二人の息子の譬え話」では、一人は固定観念や建前からものを考える、思想と生活との乖離に気づいていない。形式では「Yes」、現実は「No」。その矛盾に悩まない人である。教説や観念では正しいことを言いながら、現実には人間と社会の苦悩うを共にしない者たちへの批判的比喩ともなり得る。もう一人は、一度は父の求めを拒否する。しかし後から心を変えてぶどう園に出かけて父の意思を受け入れる。現実からものを考えるが、現実を超えたものの意志を受け入れて現状を突き破る。「後で考え直して出かける」(”meta-melomai”=後悔する)。物語は問う。「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」と。
なぜ父の意志に従ったか。分かれ道は何か。あえてそのキーワード(鍵語)を探すならば『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』にある。ぶどう園に象徴されている神の恵みの豊かさを、現実を越える超越性として感得している者は、後で考え直すことが可能なのである。イエスの譬え話が、祭司長・律法学者・パリサイ人に代表される当時の指導者の態度に対する批判を持つのはその点にある。
(岩井健作記)
