アトリエの光

神戸教會々報 No.152 所収、1998.11.1

(健作さん65歳)

わたしが主……光を造り、闇を創造する者。 イザヤ 45:7


「光あれ」。聖書の創世記の第一ページの言葉に私は圧倒されます。

「神は言われた。『光あれ』こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一日である」(創世記 1:3-5)

 聖書の信仰の根本が告白されています。私たちが、何の疑いもなく自然現象として感じていることを、改めて神の創造として自覚し、受け入れ、言葉で表現し(告白)、さらには夕べと朝というリズムで捉え、生活の中で神を賛美していることです。

 私たちは、自分を中心にもの事を考え、自分が相対化、関係化できない(聖書はこのことを罪と申しますが)ことに悩みます。これは本当に頭で分かっていても、どうすることも出来ないことです。神がそこを破って関係を持たれた、ということを、古来「神の恵み」「神の愛」「神の啓示」と表現してきました。

 そこで難しいことは、事柄を言葉で表現してしまうと、言葉の独り歩き、言葉の自己完結みたいなことが起こってしまって、ここもどうすることも出来ません。

 言葉で表現すると、どうしても言葉自身が逆説にならざるを得ませんし、象徴性、文学性をもって語らざるを得ないのです。

 だからその逆に「光あれ」という言葉から、様々な想像を巡らすことも許されるのだと存じます。

 例えば、「光あれ」に水平社の宣言を、そして差別と闘う人のエネルギーの根源への思いが閃くことも含まれます。光についての思い巡らしを新約聖書にたどると、ヨハネ福音書、パウロ書簡などいずれも、光と闇の対立や陰影が際立っていて、それが正義と暗闇の業(エフェソ 5:9-10)で捉えられています。しかし、そのパターンではなく、闇も神の創造なのですから、光と闇の間の微細な襞に目を注いでみたいのです。

 久々に神戸市立小磯記念美術館に小磯画伯のアトリエを訪れました。

 北側の窓から六甲の山に一度吸収されたような淡い光が入るように設計されています。

「没後10年小磯良平展」に来館している人たちに、職員が解説をしていました。

「小磯は山本通りのアトリエを戦災で失って、市内を転々と仮寓、1948年緑豊かな御影山手にアトリエを再建しました。……没後2000点の作品と共にこの建物も遺族によって寄贈され移築されました。イーゼル、愛用の椅子、飾り鏡など当時のまま保存されています。今皆さんがお立ちになっている所は応接間でした……」

 私はそれを聞きながら色々な想いがよみがえってきました。初対面の時、まず、つれ合いの全貌一瞬捉える画家のまなざしの鋭さに、女性像の画家を実感しましたし、テーブルの上の幾つもの老眼鏡に目をとめる私に、ほほ笑みながら「歳をとりますとねー」とポツリ。見ることに気遣う老画伯の心が伝わってきました。

 小磯兄自身の前夜式を行ったのもこの部屋でした。アトリエに入れてもらった時、思ったより簡素で、静かで、窓からの斜光が印象的でした。ここが数々の名画を生み出した空間だと思うと厳かな思いをもちました。

 光は外から入っているにもかかわらず、あたかも部屋に漂うように、素材に内在化され微妙な質量感や色彩を浮かび上がらせていることに気づかされました。その時に、アトリエの光と、歴史の細部の明暗を生き、そして十字架上に死んだイエスとが重なって心に映りました。

 絵画にとって光は大前提です。それは光が創造の秩序に属することと同じです。けれども、幾重にも吸収されて北側の窓から注ぐ間接光のように、幾重にも歴史の襞に証しされた存在がイエスです。

「律法と預言者によって立証されて」(ローマ 3:21)という言葉が思い起こされます。小磯さんはデッサンの画家ですが、同時に微光の画家でもあります。

 アトリエに居ると窓の上部から静かに射し込む光の構図に気がつかされました。

 思い出してみると、小磯さんの「聖書装画」32葉の中には上から光が射し込んでいる構図の絵があります。

 アブラハムがイサクを捧げる、しし穴のダニエル、ヨナ海に投げ入れられる、中風の者をいやす、ゲッセマネの祈り、などです。

 上からの光の構図は該当箇所のメッセージを暗示しているようです。

 限定された光の空間アトリエは画家の仕事場です。それになぞらえれば、私たちも与えられた人生の限定された務めや場で、光を仰ぎつつ、光を証ししていくことが委ねられているのではないでしょうか。神は歴史の細部に宿り給う。