1995.10.8、神戸教会週報、聖霊降臨節第19主日・神学校日
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
(この日の礼拝説教は)詩編 37:1-11、説教題「柔和な人々」
礼拝後、秋期シンポジウム開催(参加者56名)
「近代日本とキリスト教 ー 海老名弾正の全体像」
《パネリスト》
杉井六郎(京都女子大学教授)
笠原芳光(京都精華大学教授)
中永公子(神戸教会員・キリスト教史研究者)
《パネリスト兼司会》岩井健作(神戸教会牧師)
海老名弾正、第8代神戸教会牧師 1893年(明治26)9月〜1897年(明治30)5月
▶️ シンポジウム報告
詩編37編について(1)
この詩は、いわゆる「いろは歌」である。ヘブル語のアルファベットが冒頭に歌い込まれている。
人生の経験豊かな老人(25節)が教え諭す形をとっている。
主題は、「悪人に対して怒ったり、苛立ったりして、心を悩ますな」との教えである。
”悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。”(詩編 37:1-4、新共同訳)
9節に「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ」とあるように、詩人は「終わりの審判」が近いと見ている、と考えられる。
単に、悪人には災い・善人には幸い、という因果応報を説き、義人を励ますという単純な詩とは思われない。
13節の「彼に定めの日が来る」は、漠然とではあるが、「審判の日」を暗示している。
”貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう。主に従う人に向かって、主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが、主は彼を笑われる。彼の定めの日が来るのを見ておられるから。”(詩編 37:11-13、新共同訳)
旧約の中で因果応報の教理が強いのは「知恵文学」である。例えば、その一つ、箴言3章33節には「主に逆らう者の家には主の呪いが、主に従う人の住みかには祝福がある」とある。
しかし、「悪人が栄え、義人が苦しむのは何故か」という問いが、ヨブ記のテーマとなり、因果応報の思想では「悪・悪人の問題」に解決を得ないことが、ヨブ記で取り組まれた。
この詩は、そのような思想の歴史を経た時代のものだ、と言われながら、知恵文学の影響も色濃く持っている。
そこになかなかの味がある。
この詩を基に、パウル・ゲルハルトにより、讃美歌290「よろずを治らす」が作られたという。
本の紹介:横田幸子著『イエスと呼応しあった女たち ー 女性の目で聖書を読みなおす』(新教出版社 1995年9月30日発行)
友人の横田さんから、先週寄贈を受けた。
横田さんは1933年生まれ、大泉教会の担任教師をしている。
伴侶の横田勲さんが主任で、夫妻して牧会者である。
この教会には、元神戸教会員のNさんがメンバーとして活動していることもあって、親しい思いを持っていた。
今度この本を手にして、一層親近感を持った。
横田幸子牧師は、震災後、何回も現地に来て、活動をされた。
神戸教会の和室に泊まって、神戸の若い牧師たちの「心の悩み」をよく聴いてくださったし、西宮の仮設住宅の訪問もされたし、神戸教会の祈祷会にも出席くださった。
この本には、大泉教会でされた説教が21遍、収録されている。
ほとんどのテキストは、女性の登場するものである。
決してラディカルなフェミニストではないが、男性の視座からは見えないものを、読み取っている。
私は、この本を読んで、男性である私が神戸教会の牧師をしていることへの恐れを抱かされた。
ぜひ読んで、欠けを補って欲しい。申込扱中。
(1995年10月8日 神戸教会週報 岩井健作)




