戦後50年《ヤコブ 4:13-17》主のみこころであれば(1995 週報・沖縄慰霊の日・震災から5ヶ月)

1995.6.25、神戸教会週報、聖霊降臨節第4主日

(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん61歳)

ヤコブの手紙 4:13-17、説教「主のみこころであれば」

”よく聞きなさい。「今日は明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。”(ヤコブの手紙 4:13-17、新共同訳)


 神山征二郎監督の作品、映画「ひめゆりの塔」(東宝映画 1995年5月公開、沢口靖子主演)を観ました。

 6月23日は、沖縄戦で米軍への組織的抵抗が終わった日、そして戦後「慰霊の日」とされた日です。今年は50年目を覚える日となりました。

 映画のパンフレットには次の解説があります。

”太平洋戦争において、国内で唯一戦場となった沖縄では、3ヶ月で人口の3分の1にあたる12万人余の命が奪われた。中でも悲劇を極めたのが「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた15歳から19歳の乙女たちの戦い。彼女たちは看護婦として従軍し、無私の献身の果てに命を散らした。”

 映画の原作は『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(仲宗根政善、角川ソフィア文庫 1995)と1953年の映画「ひめゆりの塔」(東映 今井正監督)の脚本(水木洋子)、今回の1995年版で戦後4回目の映画化です。

 神山氏は、事実にこだわって、戦場を実感できるようなリアルな映画を作り、風化しつつある戦争体験を、戦争を知らない若い世代の人に語り継ぎたい、と述べています。

 教師役の沢口靖子、仲宗根政文の演技、それに若いスタッフの危険と隣り合わせでの熱演が、沖縄戦の凄さへと観客を巻き込んでいきます。

 私が特に気づいた点が二、三あります。


 一つは、師範の教師が軍と生徒の間にあって、生徒の立場と気持ちに立つという基本が暖かく表現されているところです。

 そこには救いがあります。

 終わり近く、死にゆく宮城先生とその先生を慕い息絶えていく生徒とが手を伸ばし合い、指を触れ合わせ、そして最後を迎えるという場面や、手榴弾の栓を抜いて自決すると言う生徒に「死ぬな」と叫び、自ら先頭に立ち、両手をあげて米軍の下に投降していく場面などです。

 戦争の中での人間性がよく出ています。


 もう一つは、読谷(よみたん)教会の渡久山ハルさんからお聞きした話が出ていたことです。

 軍の撤退で南風原から南部へ病院が移動する時のことです。

 足をやられた一人の生徒をそこに残して出発します。

 次の朝、動けない将兵約500人に青酸カリ入りのお粥が配られます。

 その生徒はそれに気づき、なんとしてでも生きねば、と這って脱出。

 後に収容所で教師はその生徒に再会し「すまん」と詫び、生徒は「ありがとう」と一言残して病院のベッドで息絶えます。

 先に出発した者の「罪」の意識が暗に出ています。

 渡久山さんの話では「なんで私を置いて行ったの」という問いが入り、その罪責感に耐えられず、戦後教会に通い、この罪を犯せる者も、キリストの十字架の贖いの愛により生きることを許されて戦後を教師として平和教育に歩んだとのことでした。

 この話を思い出させる場面のあったことは喜びでした。

 戦後50年を深く捉えたいと存じます。

(1995年6月25日 神戸教会週報 岩井健作)


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