神を待つ(2) 95.3.19

説教 於神戸教会 1995年3月19日
震災から61日目、受難節第3主日

(サイト記)本テキストは1996年版にのみ収められた説教です。


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 私の手元に、約50年前に出版された一つの説教集があります。説教の題名は『地の基ふるいうごく』というものです。パウル・ティリッヒ(Paul Tillich)という、アメリカの神学者の説教集です。第二次大戦のユダヤ人虐殺、広島・長崎原爆などを経験し、表向きの文化が死滅していく経験の中で語られた説教が題名になっています。
 その中に「待望」という説教があります。この説教では、二つのテキストが選ばれています。

詩篇130:5-7
 「われ主を待ち望む、わが霊はまち望む。…われはそのみことばによりてのぞみをいだく。わがたましいが主をまつは、衛士があしたを待つにまさり、誠に衛士があしたを待つに勝れり。」

ローマ人への手紙 8:24-25
 「我らは望みにより救われたり、眼に見ゆる望みは望みにあらず、人その見るところをいかで望まん。我もしその見ぬところを望まば、忍耐をして之を待たん。」

そして、この説教はこう書き始められています。

 「旧約聖書、新約聖書はともに、神との関係におけるわれわれの存在を、待つということとして述べている。詩篇においては切なる待望があり、使徒(パウロ)の場合には、忍耐強い待望がある。待つ、とは持たないが同時に持つことを意味する。なぜなら、われわれは、待望しているものを持っていない、あるいは使徒(パウロ)の言葉によれば、われらもしその見ぬところを望まば、これを待たん、である。人間の神に対する関係の状態は、何よりもまず、持たないこと、見ないこと、知らないこと、把握していないこと、である。このことが忘れられている宗教は、たといそれがどれほど恍惚的であり、活動的であり、合理的であっても、常に、自ら造り出した神の像を以て、神を置き換えるのである」。

 待つ、ということは、自己満足や自分のわかりきった理解の中に入り込まないことです。神を求め、神を所有しようと試みつつ、そこで分かったという新しい所有を誇らないことです。こうすればよい、というマニュアルを手にしていないということです。

 こんな大きな地震の被災地の只中にあると、マニュアルがないということをみんなが感じています。分からなくなることがたくさんあります。でもマニュアルがないことがいけないことではないのです。例えば、未曾有に多い避難者の問題がこれからどうすれば良いのか、不安です。先週いただいた、山手小学校の卒業式案内も場所未定とあります。新しい講堂は被災者の住居になっていて使えません。なんとか開けて欲しいという学校当局者と避難者との間の厳しいやり取りが目に付くようです。秩序、法、地震前の考え方(そのマニュアル)に立とうとする人と、被災の現実に立たざるを得ない人とのぶつかり合いは、ますます続きます。15年間大丈夫だという、ゴミ捨ての空間が、一年で無くなってしまうゴミ問題、下水処理場の破壊の問題を考えますと、私たちの街の中の目先だけ綺麗になったから良いとは言えません。ゴミを積み上げられた近くの人々が、その悪臭に悩み、どうしようもないと叫びをあげているのをニュースで聞くと、胸が締め付けられるようです。どれ一つ解決はありません。マニュアルがないのです。

 それぞれが良き解決を望みつつ、状況を切り開かねばなりません。「待つ」とは、解決を信じつつ生きることです。

 木村尚三郎という方の論文を、ある雑誌(「文藝春秋」4月号)で読みました。「安全な都市より、安心な都市を」というテーマです。この方は、フランス中世史を研究している人で、近代の国家というもの以前に、人が寄り合う魅力のある都市に注目している人です。これから21世紀にかけて、国家より都市が大切だという論旨です。歴史と伝統に裏打ちされた、美しさを感覚で味わえる都市の魅力を強調しています。人種、民族、弱者が差別される都市には、人は集まってこない、と言っています。安全だという、目に見える技術文明基準ではなく、そこに寄り合った人がお互いに支えあい、安心だと言える都市づくりが大切だということを言っています。
 神戸で動き出した都市づくりは、必ずしもそうではないようです。被災した人が、今日も市役所の前で都市計画集会を開いて集まっています。この1週間のニュースは、県当局の都市計画案の決定と住民との間の摩擦ということが、大きなものの一つでした。被災の生活にプラスして行政に抗議に行くというのは大変なエネルギーです。しかし、逆にそのようなエネルギーがあることに、希望があるとも言えます。

 「神を待つ」とは、座して待つことではなくて、「夜、歌を与える方」を待つことです。私たちにはたくさん課題があります。神を待ちつつ、この、それぞれが与えられた地震後の状況にチャレンジして参りたいと存じます。

 祈ります

 父なる神さま。刻々と流れる震災後の時間を、どうか、その時その時、適格に生きることができますように守ってください。「厳しい夜に、歌を与える方」にゆだねて、歩むことを得させてください。
 主のみ名によりて願います。アーメン