1994.11.27、神戸教会週報、待降節第1主日・震災の50日前
(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん61歳)
(サイト記)14日(月)〜17日(木)第29回教団総会出席のため出張。
ヨブ記 10:8-13、説教「秘められた命」
第29回教団総会が、さる11月15日より17日まで浜松にて開かれた。
岩井牧師、市野瀬姉が兵庫教区26名の議員に加わり参加した。
新役員に原忠和議長(南大阪)、小島誠志副議長(松山番町)、一色義子書記(経堂緑岡)が再選された。常議員(教師14、信徒13)に岩井牧師も再選された。
「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化」の懸案事項については、今回は名称変更などの議案は出されず、協議会がもたれて論議された。
最も大きな課題は、教団の財政問題であった。
教団中央執行費は、人件費を含めて5%上昇であるのに、地方の全教区はそれを支えることが困難であること。出版局は業績低下により、今までのような執行費への繰入れが困難なこと。宣教活動は拡大していることなどのこと。さらに年金局は、金利低下や過去勤務債務の増加問題に対応しきれず、抜本的立て直しが求められた。
会期中、財政問題協議会が開かれ、責任体制の確立が強く叫ばれた。兵庫教区は早くからこの問題を議論し、議案を提出した。
議事後、夜遅くまで教団史、聖書の読み方、核・原発問題など、多彩な集会があり、人と人との交流の炎が燃えていた。
ヨブ記を読んでいるうちに、待降節を迎えました。
ヨブ記は「義人の苦しみ」を主題にした文学作品です。神の前にも人の前にも正しい生き方をしている者が、神の祝福を受けないで、苦しみを受けるという、この現実の不条理はどういうことか、著者はヨブの口を通して問うています。
10章でもそのことが鋭く訴えられています。
ヨブ記10章1〜7節にはそれがよく出ています。けれども8〜12節は、それとは逆に、過ぎた良き日々には全き真理であった、神の愛による保護を思い起こしています。
その表現の生き生きとしている様は創世記2章7節、詩篇139篇15節などを思い起こさせます。
”主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。”(創世記 2:7、口語訳)
”わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。”(詩篇 139:15、口語訳)
さて、ヨブ記10章13節は、一転して神への厳しい問いです。
”しかしあなたはこれらの事をみ心に秘めおかれた。この事があなたの心のうちにあった事をわたしは知っている。”(ヨブ記 10:13、口語訳)
神はヨブを創造しこれをこよなく愛されたというが、神の心にはヨブを苦しめる計画が秘められていた、というのである。
「命といつくしみ」(ヨブ 10:12)の神が一転して厳しい監視者になったという。
”命といつくしみとをわたしに授け、わたしを顧みてわが霊を守られた。”(ヨブ記 10:12、口語訳)
ヨブ記はまだ長いトンネルに入ったとの思いがします。
そして、詩篇30篇5節の言葉が心に浮かびます。
”その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。”(詩篇 30:5、口語訳)
人生にほんとうに秘められているものは何か。
(1994年11月27日 神戸教会週報 岩井健作記)