宣教方針について(1994 週報・宣教方針)

1994.3.13、神戸教会
復活前第3主日・受難節第4主日

(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん60歳)

この日の説教、マルコによる福音書 4:35-41「恐れか、信仰か」岩井健作


 3月の役員会では、教会総会提出議案を協議しました。

 年間事業の総括、次年度の計画、予算。

 公益事業(2つの幼稚園)報告。

 人事(伝道師の辞任と招聘)。

 役員半数改選。

 さらに今年は、別館建築の完成報告、『新共同訳聖書』使用の提案。

 しかし、一番時間をかけたのは、「宣教方針(案)」の審議でした。


 私たちは皆一人一人が神の招きのもと、聖書に示された「イエス・キリストの福音」を受け入れ、教会の交わりに加えられ、「聖霊の力」を受け、「福音」を証しして生きる使命を与えられています。

 自分本位(罪)を断ち切る心の内なる戦いと、人間関係の組み替えに向かって生きる生き方を、人間の内なる力により頼まないで、神の導きの元に、しかも歴史の中に逆説的にその事実を示されたイエスに従って、信じて生きることが、私たちに託されていることです。

 だから、この使命は、身ぐるみ毎日の自分の生きる姿に関わっています。

 私はそう信じています。

 だから「宣教」といっても、何か分かり切ったことを、例えばセールスマンのように伝えることではないのです。

 私たちが生きている現代の状況の全てに(なっていったって、経験的に自分のことになるのは、ほんの一つか二つでしかありませんが)関わる在り方を言い表している表現です。


 今回、(案)として出される、私の起草の文章の初めのところを記しますので、討議の手がかりとしてください。


 宣教方針(案)

(1)現代における宣教の課題

 ”いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか”(ルカ 15:4、口語訳)

 このイエスの譬えの言葉に示されている「神の福音」は、神の前から失われている私たち自身を、受け入れ、とりなし、ゆるし、神の恵みへと招きます。

 それは、また現代の人間の在り方に関わる諸問題の根源を問います。

 例えば、南北問題、環境問題、民族問題、高齢化社会問題、”障害者”差別問題、子供の教育の問題等々の分野に関わっています。

 その根源的な問いを「イエス・キリストに啓示された神」におくことが、福音主義教会の信仰的伝統であると信じます。

 しかしまた、イエスが十字架の死に極まる生涯と振る舞いにおいて、僕(しもべ)として人々に仕えた事実を受け入れることが、どこかで形骸化してしまっていることを問い直すことも、また、教会の責任であります。

 外と内とに向けられる、神からの問いを、日常の営みで、真摯に問い続けることが、宣教の基本であります。

 ……(以下続く)

(1994年3月13日 神戸教会週報 岩井健作)


1994年 週報

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