カレンダーへの思い(1994 週報)

1994.1.9、神戸教会
降誕節第3主日礼拝

(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん60歳)

この日の説教、列王記上 8:27-30、フィリピ 4:4-7 「叫びと祈り」岩井健作
午後2時より「神戸教会別館竣工感謝式」竣工感謝礼拝司式 岩井健作


 今年は不況の影響で、企業などの新年のカレンダー配布は少ないらしい。

 でも大林組(神戸教会別館建築の施工会社)からは「Sketches(スケッチ )」と題して、建築家マリオ・ベリーニのスケッチ幾葉かと、随筆『建築家の夢』に彩られたカレンダーを頂いた。

 取引先と言っては大袈裟だが、元町の加川珍花園のカレンダーは、例年、活けられた花と人と風景の組み合わせが活きいきしている。

 松本寛兄は ”United Airlines”のものを毎年送って下さるが、世界の著名な写真家の幻想的な作品で飾られている。

 いずれも、なかなかの豪華版だ。


 それに劣らないのが「神戸女学院」のものである。

 写真家による学内の学園歳時記を思わせる、建物と風景と共に、短い、《神を想うメッセージ》が付いている。

 キリスト教名門校ならではの、心憎いまでにきれいな作品だ。


 運動の普及に用いられるカレンダーには、「止揚学園」の一枚もの、「ぬくもり」(200円)がある。

 販売の時期は、前年の夏、と早い。星野富弘さんのものに先んずる為か。

 わが鈴木誠也兄のたずさわる「アジア協会 友の会」のものは「きれいな水は健康のもと」のスローガンで次代のアジアを担う子供たちの作品を集めている。切り取り保存への配慮まである。

 古い方の馴染みには「近江兄弟社」のものがある。厚生薬局の向井三郎・昭子夫妻から寄贈がある。

 同じスタイルの馴染みには「教団書き入れ用」がある。教会から役員の方々にはお送りするが、教会暦をお覚えいただけたらと思う。

 一枚ものでは「新教出版社」の渡辺禎雄作品、今年は「弟子の足を洗うイエス」。


 個人的に贈られたものだが、「マイカレンダー」は旅行仲間の田鎖さんがエルサレムでの写真を入れた思い出のもの。

 しかし、なんと言っても、「工房なかにし」の中西幸子さんのシルクスクリーンでの手作りのものは凄い。

 『フランダースの犬』(ウィーダ、村岡花子訳、新潮文庫)が12枚になっている。

 ルーベンスの「十字架にのぼる」の名画の前で、冷たくなるネロとパトラッシュのように清く、心豊かでありたいという作者の心に、涙を誘われた。


 それにしても、カレンダーの表示は、年代表記が全て「1994年」だ。

 それなのに、何故、年賀状の多くは「平成6年」なのか。

 何も西暦が価値的によいと言っているのではない。

 記号であるなら、全国紙(朝日・毎日・読売)や沖縄タイムス並みに、西暦(元号)の併記くらいの心遣いがあってよい。

 キリスト者は、時の支配まで無意識に”天皇”にあずけてはならない。

 教会では”キリスト紀元”表示をしていることの意味を、もっと言葉にしなくてはいけないのだろうか。

(1994年1月9日 神戸教会週報 岩井健作)



1994年 週報

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