罪と義《ローマ 5:12-21》(1994 週報・説教補助)

1994.1.16、神戸教会
降誕節第4主日礼拝

(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん60歳)

この日の説教、ローマ 5:12-21「罪と義」岩井健作


 亡くなったY兄が、礼拝後や祈祷会前などに、教会の小講堂に図書部が購入し、備え付けしている『福音と世界』誌にサラッと目配りをして、いち早く、「あれはなかなか深いな……」などと寸評されたことを懐かしく思う。

 その『福音と世界』の94年1月号、小特集で「学徒出陣50年」を行っている。

 折しも、奥村芳太郎氏(ツヤ姉御令息)から、同氏編纂の『学徒兵の青春 ー 学徒出陣50年目の答案』(角川書店 1992)を頂いた。

 20歳前半で学究を折り、国家の強制を自らの内面のことのように戦争の肯定と死の美学へと昇華しつつ、特攻隊として死んでいった人たちのこと。

 敗戦を知らされぬまま、解体した日本軍を離れ、投降のルールもないままに現地の人の憎悪にさらされて、ボロボロの姿で殺された学徒兵のこと。

 こんな話が山ほど積載されている。なんとも重い話である。

 戦後50年、経済進出まっしぐらの時は、こんな話はあまり出なかった。

 当事者の人生も残り短くなり、戦争を知らない次世代への遺言めいた感じがなくはない。


 渡辺信夫氏は

 ”学徒出陣50年記念が語られる時、当事者の一員である私は恥ずかしさを噛み締める……”

 とことわりつつ、こう締め括っている。

 ”聖書は、アダムの罪責が子孫全体に及んだと証言する。先祖の罪は子孫に引き継がれた。その点から目をそらしていては、福音主義的キリスト教の生命は失われる。戦争に実際に関わった世代はやがて一人残らず世を去って、教会の世代交代が終了する。しかし、教会の罪は引き継がれるのである。この事実を忘れた教会になってはならない。”

 この言説は、神学的には正論である。

 しかし、不満はある。

 戦争は、太平洋戦争が最後ではない。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして今は民族間の局地戦争がある。

 それらに日本はみな関わってきたし、日本の教会も、態度表明をしないことも含めて、関わりを持ってきた。

 戦争への巻き込まれ、是認、協賛、協力、讃美、あるいは拒否、抵抗、なども含めて、それはあった。

「教会の罪」を語るならば、一括してではなく、歴史的場面に即して「罪と赦し(義)」、また「責任と課題」を語り、負ってゆかねばならない。


 23歳で戦死したキリスト者学徒兵・特攻隊員、林市造兄の言葉を深く思う。

 ”わたしは2、3ヶ月を出ずして、死ぬ。私は死、これが壮烈なる戦死を喜んでゆく。だが、同時に私の後に続く者の存在を疑うて、嘆かざるを得ない。”

(1994年1月16日 神戸教会週報 岩井健作)


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